No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

観たい映画について(Nov 28, 2016)

久しぶりのエントリー。研究会に参加したり、アメリカに行ったりと、10月末から昨日まで忙しかった。昨日はある研究会でChim↑Pomの活動や、丸木美術館の学芸員さんのお話を聞くことができたので勉強になったことを近いうちに書き記したい。

 

今回は最近手に入れた映画作品の名前をメモついでに挙げておく。

 

Jules Hermann, Liebmann (2016)

 

 

Stephen Dunn, Closet Monster (2015)

 

Paddy Breathnach, Viva (2015)


 

 

Etienne Faure, Bizarre (2015)

 

 

Dennis Cooper, Zan Farley, Little Cattle Towards Glow (2015)

 

表象文化論学会ニューズレターREPRE第28号に新刊紹介文が掲載されました。

表象文化論学会ニューズレターREPRE第28号で、小野智恵さんの『ロバート・アルトマン 即興性のパラドクス ニュー・シネマ時代のスタイル』 (勁草書房、2016年3月)について短い紹介文を書かせていただきました。

 

表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:新刊紹介:『ロバート・アルトマン 即興性のパラドクス ニュー・シネマ時代のスタイル』

 

 

アジアフォーカス・福岡国際映画祭に参加してきます。

今週木曜日、9月15日からアジアフォーカス・福岡国際映画祭が博多市内で始まります。関西の映画祭にはこれまで何度か参加してきましたが、福岡まで足を運ぶのは今回が初めてなのでとても楽しみです。

 

今回は映画学者のミツヨ・ワダ・マルシアーノ先生が映画監督やプロデューサーとのインタビューも企画してくださっているので、それも楽しみ。(美味しいものも食べたい)

www.focus-on-asia.com

 

音楽学会西日本支部第34回例会で口頭発表を行いました。

先週の9月3日、キャンパスプラザ京都で口頭発表を行いました。

 

今回は、音楽学会西日本支部第34回例会のラウンドテーブル「日本映画における楽曲の『流用』ーー映画音楽と意味作用』」に非会員として参加してきました。僕の発表題目は、「木下兄弟による既成曲の流用とリリィ・カルメンの表象ーー『カルメン』二部作に見られる映画音楽の効果」で、映画監督・木下惠介と映画音楽家・木下忠司のコラボレーションについて「流用」をテーマに話しました。

 

正直なところ、僕は音楽に明るくないので発表依頼が来た時はどうしたものかと思いましたが(実際どうにもならなかったかもしれませんが...)、なんとか無事に乗り越えることができました。音楽のコノテーションジェンダーセクシュアリティの話はあまり音楽学会ではなされてこなかったそうで、少しは新しい知見を提供できた(?)ようです。今回の発表内容は博論につなげたいので、フィードバックで得た示唆を拡大できるように資料調査を続けていく必要があります。

 

夏期休暇も残すところ、あと半月。来週の半ばからはアジアフォーカス・福岡国際映画祭へ行ってきます。面白い発見があるといいな。

 

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今回の発表で参考にした文献

 

田之頭一和「映画における”歌”の働きーー市川崑木下惠介黒澤明の3作品を例にーー」

http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/research/laboratory/bulletin/pdf/kiyou36/kiyou36_07.pdf

 

フェミニン・エンディング―音楽・ジェンダー・セクシュアリティ (ウイメンズブックス)

フェミニン・エンディング―音楽・ジェンダー・セクシュアリティ (ウイメンズブックス)

 

 

映画音響論―― 溝口健二映画を聴く

映画音響論―― 溝口健二映画を聴く

 

 

ミシェルシオン 映画の音楽

ミシェルシオン 映画の音楽

 

 

ニュー・ミュージコロジー: 音楽作品を「読む」批評理論

ニュー・ミュージコロジー: 音楽作品を「読む」批評理論

  • 作者: 福中冬子,ジョゼフ・カーマン,キャロリン・アバテ,ジャン= ジャック・ナティエ,ニコラス・クック,ローズ・ローゼンガード・サボトニック,リチャード・タラスキン,リディア・ゲーア,ピーター・キヴィー,スーザン・カウラリー,フィリップ・ブレッド,スザンヌ・キュージック
  • 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
  • 発売日: 2013/04/28
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アフェクト理論についての文献

ここ10年、20年ほどアフェクト理論(affect theory)に関する議論が盛り上がっており、学際的にもこの理論を援用した論文が多数書かれているようだ。映画研究にもその流れは少しずつ見られる。とは言っても、僕はこの理論についてはまったくの不勉強なので、いくつか文献を探したので紹介する。

 

この本がアフェクト理論の研究書としてもっとも有名で、この分野の古典的文献となるであろうと聞いた。ゼミの勉強会で読み進めているが、とても難解で困っている。

Parables for the Virtual: Movement, Affect, Sensation (Post-Contemporary Interventions)

Parables for the Virtual: Movement, Affect, Sensation (Post-Contemporary Interventions)

 

 

同じくMassumiによる著書

Politics of Affect

Politics of Affect

 

 

アフェクト理論に関する論集

The Affect Theory Reader

The Affect Theory Reader

 

 

クィア研究においてもアフェクト理論を援用した論考があるようだ。この論集に所収されている。

The Routledge Queer Studies Reader (Routledge Literature Readers)

The Routledge Queer Studies Reader (Routledge Literature Readers)

 

 

日本語では、次の文献が今年初旬に彩流社から出版されている。

身体と情動: アフェクトで読むアメリカン・ルネサンス

身体と情動: アフェクトで読むアメリカン・ルネサンス

 

英語論文がReconstruction(16.2)に掲載されました。

去年の3月に提出して、査読はどうなったのか、忘れ去られてしまったんじゃないかと心配していた英語論文が無事に査読を通過し、今月掲載されました。

 

"Queering Film Location and the Byakkotai: Kinoshita Keisuke's Queer Sensibility and Sekishuncho (1959)." Reconstruction. 16.2 (2016).

 

Reconstruction Vol. 16, No. 2 (2016): Regionalism, Regional Identity and Queer Asian Cinema

 

正直なところ、もっと英語に磨きをかけなければならなかった論文です。くわえて、博論でクィア映画理論を使いたいと決心して間もない時に書いたものなので、理論的にも分析的にも未熟な点は多いです。博論にする際は、きちんと構成や理論的な部分を強化して加筆・修正していきます。よい経験にはなりました。

Summer Vacation (Hofesh Gadol, dirs. Tal Granit, Sharon Maymon, Israel, 2012)

 

現在MUBIにアップされているSummer Vacation(Hofesh Gadol、2012)という映画を観た。監督はTal GranitとSharon Maymonで、イスラエル資本の作品。IMDBによれば、2012年から2014年にかけて、イスラエル、アメリカ、ポーランド、フランスの映画祭に出品されている。この二人の監督の共作としては、『ハッピーエンドの選び方』やThe Farewell Partyという作品もある。

 

Sharon Maymonについて:

http://www.imdb.com/name/nm2321422/bio?ref_=nm_ov_bio_sm

Tal Granitについて:

http://www.imdb.com/name/nm2318954/

 

本作品は22分ほどの短編なので、複雑な物語構造にはなっていない。主人公のYuvalは家族であるビーチへ旅行に来ている。息子と娘に砂浜に埋められたYuvalへ妻Michaelaとキスし、それを見た子供たちが照れる、という定番の家族描写が展開した後、砂浜に波が押し寄せてきて、Yuvalが溺れそうになる。

 

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そこへ助けにきてくれた男とYuvalの間に短い切り返しが挿入される。この切り返しは何を意味するのか?

 

助けてもらったお礼にMichaelaはその男と連れの男をディナーへ招待する。その男の名前は、Yiftachで連れの名前はNoam。二人が付き合っ ていることがすぐに分かる。彼らの登場にYuvalは落ち着かない様子を見せる。このシーンでも、YuvalとYiftachの間に切り返しが何度を展開 させつつ、MichaelaやNoamが彼らを見つめるショットが挿入される。ディナーの途中、Yiftachの電話が鳴ると、Yuvalと Michaelaの思い出の曲が流れる。それに合わせて踊るYiftachとMichaelaを見つめるNoamは、携帯電話の液晶に映ったYuvali という名前を見てハッと気づき、その場を去る。

 

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ビーチから少し離れたところに小島があり、その空間において初めてYuvalとYiftachが付き合っていたことが明かされる。観客はここまで待たなく ても勘づくことなのだが、Yuvalの家族がいるビーチという空間から離れている空間だからこそ、YuvalはYiftachに近づくことができる。た だ、この小島は誰からも見ることのできるオープンな空間であるため、自分の気持ちに正直になることはできない。オープンな空間で同性の恋人と一緒に堂々と いるYiftachとの対比がなされる。

 

実際、屋内という閉じられた空間であればYuvalはYiftachに求愛する。自 身に秘めたYiftachへの気持ちをYuvalは徐々に抑えられなくなるのだが、それはYiftachも同様で、ビーチでMichaelaにサンオイル を塗りながら、妻子を持ったYuvalによく似た男に恋をしていると告白する。その場にYuvalもいて、Yiftachの告白にびくびくしながら、妻の 反応をうかがうシーンの緊張感はなかなか良い。

 

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再び小島へ泳ぎ着く二人。Michaelaに全てを話すとビーチへ泳ぐYiftachにYuvalは水面下でヘッドロックをかける。苦しそうな Yiftachをカメラは映す。このような描写は幾度と観てきた気がするが、ここで描かれる暴力は水面下の空間で二人に許容された、最後の愛撫を描いてい るとも理解できないだろうか。ビーチへ一人で辿りつくYuval。彼の首筋と二の腕には引っかき傷がある。不安そうな顔を浮かべるMichaela(観客 も、YuvalがYiftachを殺してしまったのではないかと不安になる)。Yiftachが少しして、Michaelaの隣に座ることでその不安は解 消されたように思われるが、Yiftachの告白の直後に二人が小島へ去り、そして傷だらけになってYuvalが戻ってくる、という展開の後、Yuval とYiftachの関係にMichaelaが気付いていないわけがない。Michaelaにカメラの焦点が当てられていることからも明らかである。

 

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最後のショットは、夕日を眺める三人を後ろから映したショット。ロングショットで撮影されることによって、ビーチ、海、そして小島という三つの空間が大きく区画化されているだけでなく、パラソルの軸(足?)によって、YiftachとYuvalの間に距離が置かれていることが強調される。同じパラソルの傘の下にいながらも、二人は肩を並べて座ることができない。パラソルがYuvalとMichaelaが座る左側に傾斜しているのは、Yiftachとの関係よりも、Michaelaとの関係を重要視するYuvalの精神状態の表れと読むこともできる。ただし、下の画像からも明らかなように、画面はYiftachの座る右側、パラソルの中心から右側に向かって開放的な構図になっている。内面化する同性愛嫌悪によって自らを異性愛規範に押し込められるYuvalとそのパートナーMichaelaが占める空間の比率は極めて小さく、窮屈に見える。このシーンでは、YuvalとMichaelaの思い出の曲が再び流れるのだが、その曲がYuvalとYiftachの思い出の曲であったことは言うまでもない。

 

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