No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

Postwar Japan in Film: 1st week

今週から同志社大学にてスタンフォード大学が開講しているPostwar Japan in Filmの授業が始まった。担当は、Peter Duus教授だ。

 

授業は少人数制をとっており、聴講生である京都大学からの大学院生2名を含め、全員で10人の学生がいる。それぞれの専攻は、英文学、歴史、コミュニケーション、エンジニアリング、国際政治、映画学など。同プログラムで同志社に来ているスタンフォード大学の学生のほとんどが2回生らしいが、ここまでの段階で学んだ専攻それぞれの知識を用いて授業に生かす姿勢は見習わないといけない。

 

今週はIntroduction to Postwar Japanというテーマを設け、1945年から1990年までにおける日本史について簡潔に説明された。一回目の授業でまず議論が行なわれたことは、「historyとはなにか」「historyとmemoryの違いはなにか」という2点である。もちろん、歴史学者はそれぞれの専門分野を持っているが、彼らが研究を進める時、または研究を誰かに説明する時に重要となることは、「narrative(物語性)」をもつことらしい。登場人物、問題点、彼らがどうその問題へ立ち向かうか、そしてその結果を論じるという基本を守ることが、論理的に歴史を語ることに必要不可欠のようだ。それは、映画学の論文にも共通している。

 

Duus教授によれば、1868年の明治維新以降、日本の歴史は40-year cycleを辿っているという。1905年、1945年、1990年と40年ごとに重要なターニングポイントが発生している。Duus教授がある日本人大学生が日本とアメリカが戦争をしていたことを知らなかったと肩を落としていたが、終戦年である1945年は忘れてはならない。この年を境に、日本は軍事国家ではなく、世界に誇る経済国家へとなる。

 

今週の授業では、1945年から1990年までの日本の歴史を経済というnarrativeを通して振り返った。日本経済の発展と転落をキーワードに、日本の雇用形態、社会における家族や教育に対する意識の変化などについて論じていった。Duus教授は歴史学者であり、映画の専門家ではないため、戦後日本における経済成長が日本の映画スタジオシステムや、映画産業、映画製作とどう関係していったのかについては必ずしも詳しくない。毎週のリーディングと映画視聴体験のあと、教授と学生で意見交流をすることで、知識と理解を深めて行くことが本授業の目的のようだ。

 

授業で読んでいる文献はこちら。

Japan in Transformation, 1945-2010 (Seminar Studies)

Japan in Transformation, 1945-2010 (Seminar Studies)