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No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

Postwar Japan in Film: 6th week

今週の"Postwar Japan in Film"の授業は、森田良光の1983年作品『家族ゲーム』(すばる文学賞を受賞した本間洋平の原作は1981年発表)を取り上げて、戦前から戦後にかけての日本の教育システムの変化、そして1980年代、1990年代における教室という空間の変化と受験戦争について議論した。

 

家族ゲーム』の予告編はこちら。


家族ゲーム予告編 - YouTube

 

僕は今回で10回以上この作品を観たことになるのだが、やはり毎回新しい発見がある。特に、外国人学生と一緒に観ると笑いや疑問に思う箇所が違うため、とても勉強になった。以下に、スタンフォード学生たちが疑問に思った点を挙げてみよう。

  • 次男茂之(宮川一朗太)と家庭教師吉本勝(松田優作)の間における肉体的接触
  • 吉本が茂之を平手打ちする意味
  • 食卓の不気味さ
  • 食事をする際の雑音(卵の黄身をすする音、粗食する音など)
  • 映画クライマックスの食卓のショット
  • ヘリコプターの意味

まず、茂之と吉本の物理的な近さについては、上映中にも学生から"Ewwww"という声が聞こえたように、アメリカ人学生にとってとても理解し難い描写だったようだ。たしかに、二人の男(一人は成熟した大人、もう一人は思春期の中学生男子)が近距離で話をしたり、体をくっつける描写には不可解な点もある。しかしながら、吉本が茂之に平手打ちをする点と比較して考えると、興味深いことが浮き上がる。

 

吉本は家庭教師という役割を担う一方で、実は茂之に対して母親と父親が欠如している部分を補完しているのではないだろうか。茂之の兄とは比較的仲が良い(ように思われる)母親は、茂之にはどこか遠慮している面がある。それは、思春期であり、また受験を控えた息子を怒らせまいという想いからきているのかもしれない。そのような彼女の感情が、茂之との接触を抑止している。そこで、彼女の代わりに茂之にある種の肉体的接触を通しての温かみを与えているのが家庭教師の吉本なのだ。

 

肉体的接触は、吉本の平手打ちにも表れている。母親の温かみ、包容力のある肉体的接触とは反対に、受験のこと以外一切茂之と関わろうとしない父親による接触。最初は、平手打ちという暴力的な接触であるが、同級生にボコボコにされた茂之を特訓し、最後には吉本にさえも平手打ちをあたえることができるようにするのは、吉本自身なのだ。家庭に欠落している父親の権威的な一面は吉本によって充足されている。

 

食事をする際の不気味さや、耳障りな食器や粗食の際の音が一体何を意味するのか、僕自身十分に理解できていないところもある。だが、恐らく、一番表面的な解釈としては、この家庭における家族間の不安定さや意思疎通の欠落を風刺している。観客である我々には嫌と言うほど聞こえてくるノイズは、たぶん映画の登場人物同士には聞こえていない。それゆえ、映画の途中で固く焼過ぎた目玉焼きに対して夫が妻に文句を言う時、妻は長年夫が半熟の黄身をちゅーちゅー吸うことが好きだったと初めて知る。つまり、狭い空間に住んでいるにも関わらず、彼らはお互いに興味がない。だから、耳障りなノイズは登場人物同士には聞こえず、観客にのみ強く提示されるのだろう。

 

映画最後の晩餐シーンにて、家庭空間への侵入者としての吉本は食卓を崩壊させる。その崩壊を片付ける行為を通して、沼田家族は初めて共同作業を行い、互いを認識することができる、という結論に授業ではたどり着いた。

 

ヘリコプターの音については謎が多い。おそらく、同じアパートに住んで、おじいさんが死んだらどうしようと相談にくる女性のおじいさんが亡くなり、彼の棺桶をヘリコプターを使って運び出しているのではないか、という推測が妥当ではないだろうか。

 

 

家族ゲーム

家族ゲーム