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No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

第四回深草町家シネマ:若い映画観客にとっての「懐かしさ」の欠如

昨夜は第四回深草町家シネマに参加してきた。龍谷大学深草キャンパスへ行くこと自体が初めてだったので、そういった意味でもワクワクしながら会場へと足を運んだ。

 

表題にもあるように、深草町家シネマは今回で四回目を迎えた。写真を撮り忘れたが、風情溢れる町家を会場にして、地域で収集した学生主体の8ミリフィルムの上映会が行なわれた。あのような環境で映画上映を行なえるなんて、正直なところ、とっても羨ましい。

 

この活動の詳細については以下を参考にして頂きたい。

*ふしみ・ふかくさコミュニティ・アーカイブ事業とは
市井の人々の視点から京都市伏見区周辺が記録された資料(主に8ミリフィルム)を、郷土資料として収集・デジタル化・公開するとともに、その活用方法を検 討することを目的としたコミュニティ・アーカイブの試みです。龍谷大学政策学部コミュニティ・メディア・ゼミ(代表:松浦さと子教授)の活動の一環とし て、学生が主体となった取り組みです。2014年1月からスタートし、4月から本格的に動き始めました。AHA!は、プロジェクト全体に関する監修、及び 技術的サポートを行っています。

主催:ふしみ・ふかくさコミュニティ・アーカイブ
協力:ふかくさ町家シネマ・プロジェクト、深草商店街、京都リビングエフエム、深草学区うずらの会、記録と表現とメディアのための組織(remo)

引用元:http://www.remo.or.jp/ja/

 

私がホーム・ムーヴィーについて執筆した際は、映画史におけるホーム・ムーヴィーの重要性と映画カテゴリーとしてのホーム・ムーヴィーの本質を問う側面が強かったので、8ミリフィルムをはじめとする小型映画のアーカイブ、修復、上映などについては今後の研究課題だという結論へと至った。

 

昨年の「ホームムービーの日in京都」の世話人の一人としての活動を通して、映研でも無い限り、若者が8ミリフィルムなどに直接触り、映像を観ることがかなり限られていることが分かった。私が所属するゼミの学生たちも昨年のイベントには参加してくれたが、映画研究をしている彼らでも8ミリを観ることは少ないことから、非常に貴重な経験になったと後で感想をくれたことを覚えている。

 

今回参加した深草町家シネマは、学生が主体になっていることがポイントだ。会場の代表をされていた学生に訊ねると、この活動は主に3回生を中心に企画されており、観客にはゼミの四回生なども含まれていたようだ。彼らの活動を支える龍谷大学の松浦先生やNPO法人「記録と表現とメディアのための組織」の松本さんも会場にはいらっしゃったが、上映の司会や上映中の観客への声かけも全て学生が行なう。ここがこの深草町家シネマの魅力だと思う。なぜなら、今回上映された8ミリフィルムは1973年から1976年のものであり、大学3回生、4回生が知る由もない京都の映像がフィルムに映っているからである。それらの映像に対して彼らがどのような反応をするのかを目にすることも、観客(多くはフィルムが撮影された頃を知る)の楽しみになるだろう。

 

上映が始まる前、松本さんが学生たちに「懐かしい」という言葉を使わないようにと助言していた。古いフィルムを観れば、すぐに「あー懐かしい」という言葉が出るかもしれないが、それは全ての観客に通ずることではない。私が昨年の「ホームムービーの日」に関わった時、1980年代に撮影された映像に対してはなんとか「懐かしさ」を覚えることはできたが、それ以前に撮影された映像を観ても「懐かしさ」よりも「これは一体何の映像だろう」と思うことが多々あった。

 

若い観客が昔の映像に自己同一化することは大変難しい。例えば、阿波踊りをやっている若者が阿波踊りを撮影した8ミリフィルムを観たとする。その時、観客は阿波踊りという行為自体に自分の経験を重ね合わせることはできても、映像に映っているものと自分の思い出自体を直結することは出来ないのではないだろうか。だから、自分が生きた時代以前の映像を観ても、そこには自分の経験を通した「懐かしさ」は存在しないかもしれない。

 

修士論文を執筆して以来、「ホームムービーの日」といった8ミリフィルムなど小型映画を上映する場では、すべての観客が共感できる映像を用意することが重要であると思っている。家庭映画として撮影され、私的空間で上映されることを目的としたホーム・ムーヴィーを公的空間で上映する際、ホームからコミュニティの記憶としてホーム・ムーヴィーを活用する必要がある。年齢が高い観客にとっては記憶かもしれないが、若い観客にとっては記録になる。記憶と記録のバランスをうまくとることで、ホーム・ムーヴィーをコミュナルシネマとして活用できる。

 

深草町家シネマは上記のようなホーム・ムーヴィーの活用を実現する空間になりえる。特定の地域に限定してフィルムを上映し、その土地特有の事象(お祭りなど)を含むことで地域性をもたせる。そうすることで、その地域の観客を集め記憶の共有を果たすことができるのだ。気をつけなければいけないのは、地域性を限定するあまり、そこに属さない映像を排除してしまうことだ。記憶や記録の排除は決して良い結果をもたらさない。だからこそ、他の地域でこうした上映会を企画している人々とつながり合うことで、映像の共有を行なうことができるのではないだろうか。

 

深草町家シネマは来年3月まで行なわれるそうだ。