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No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

『ベイマックス』(ドン・ホール、クリス・ウィリアムズ、2014)についての覚書


『ベイマックス』本予告編 - YouTube

 

ディズニーの最新作『ベイマックス』を観てきた。率直な感想を言えば、エピソードを詰め込み過ぎて、一貫した話の筋立てを組み立てられていない印象を受けた。日本公開版の予告編と実際の映画内容が懸け離れているという意見があるようだが、感動路線一直線、かわいいベイマックスが人助けをしてほっこりする映画を期待している観客がいるならば、おそらく肩すかしをくらう。

 

もともと6人の日本人ヒーローを主人公とするマーヴェルコミックが原作なので、その事実を知っていれば、まるでスパイダーマン的な映画展開を予想することもできる。しかし、本作が『アナと雪の女王』の歴史的大ヒットを経た後に公開されたディズニー作品であり、AIの英語版「Story」付きで叙情的な宣伝がされた作品であることは、「アナ雪」的な映画を想像していた一定数の観客を落胆させるかもしれない。観客の期待と実際の映画内容の相違については、これからたくさんの議論がなされるだろう。

 

考えつく欠点はいくつかあるが、本作は娯楽映画としてとても面白い。『ラプンツェル』や『アナと雪の女王』で女性観客を得たディズニーは、本作で明確に男性観客、特に年齢層の若い男の子の観客を得ようとしている。ケアロボットのベイマックスが、空手ムーブを覚えたり、強靭な武装を得ることで少しずつアップデートされていく過程は間違いなく少年観客を興奮させる。「自分の想像力に限界はない」と信じることができれば、どんな発明も可能であることをヒロが証明することは、この映画にとって少年観客を獲得する手段として機能する。ヒロと一緒に戦う「ナード」たちに女性が含まれている点は無視できないが。

 

ヒロが彼の発明を発表するシーンは『アナと雪の女王』におけるエルサの力を想起させる。とても興味深い瞬間は、ヒロがマイクロボットが移動手段にもなることを実演するシーン。マイクロボットの黒い集合体の上をヒロが歩く。彼が想像するがままに、マイクロボットは姿を変化させる。このシーンにおけるマイクロボットの集合体は、幼いエルサがアナのために作りあげる雪山と重なる。エルサが思い描く通りの雪山を彼女の力が創りあげる。この二つの映画の相違点は、エルサには彼女の力の使い方を指導する者が欠けている一方で、ヒロの周りには彼の知力(や想像力)を安全に具現化するために彼の兄タダシや他のナード達といった人々がいることだ。科学の力は知識と規範をもって抑制できるが、エルサが生まれ持つ力は本人にしか抑制できない。この点に何か皮肉のようなものを感じるのは僕だけだろうか。

 

最後に一点。ベイマックスがヒロに見せるタダシの映像は、ホームムービーとして捉えることも可能だと思う。死んでいなくなった人間が、映像として蘇り、ベイマックスのやわらかいボディがタダシが与えてくれた安らぎを与えてくれる。ベイマックスが最後にヒロに託すデータチップを通してあの映像が流されるのだろうけど、あのデジタルデータの寿命ってどれくらいなんだろうか。