今回はPart 1の続きで、「皮肉」(irony)について。
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皮肉はキャンプの主題(subject matter)である。ここでいう皮肉とは、個人あるいはモノと文脈あるいは関連の間における、非常にちぐはぐした対照すべてを指す。もっとも不調和な対比は、男らしさと女らしさの対比である。いくつかのもっとも良い例は、キャンプとしての魅力をその両性具有的性質に負うスターの映画的パーソナリティに見ることができる。たとえば、グレタ・ガルボが男装するすべての映画ーーとりわけQueen Christina (『クリスチナ女王』、1933)ーーをあげることができる。また、男性的/女性的サインの省略をとおしてラディカルに去勢されることでポップ・スターのペルソナが完成される、Performanceにおけるミック・ジャガーなど。
Queen Christina (1933) Official Trailer - Greta Garbo Movie HD
別の対比として、若さと老いの対比がある。Sunset Boulevard(『サンセット大通り』、1950)におけるグロリア・スワンソンとウィリアム・ホールデンの関係、あるいはHarold and Maude (『ハロルドとモード』、1971)におけるバッド・コートとルース・ゴードンの関係、さらにはMr. Skeffington(1944)やWhatever Happened to Baby Jane?(『何がジェーンに起こったのか?』、1962)におけるベティ・デイヴィスの役柄において、若さとのロマンチックな幻想に取り憑かれ、老いゆく現実を受け入れられない、年老いた利己的な女性が描かれる。
頻出度は低いが、他にも不調和な対比がある。神聖/不敬(The Picture of Dorian Gray、1945)、(霊的な)心/肉体(Summer and Smoke, 1961;The Roman Spring of Mrs. Stone, 1961)、ミュージカル(The Counterss of Monte Cristo, 1934)やメロドラマ(Ruby Gentry、1952)に見られる上流階級/労働階級の対比などがある。
不調和の認識の核心には、ゲイネスが道徳上逸脱しているという考え方がある。二人の男性あるいは二人の女性が恋に落ちることは、「正常さ」、「自然さ」、「健全さ」から外れており、不適当であると一般的に社会にみなされている。要するに、ゲイネスは道徳上間違いだと考えられている。
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次回はaestheticismのパート。少し長いから二回に分けようかな。