去年の日本映画学会で木下惠介監督の『カルメン故郷に帰る』について口頭発表してから、ずっとこの映画について考えている。
『カルメン故郷に帰る』が公開されたのは1951年で、撮影は1950年だった。撮影から役66年経った今、ロケ地はどんな感じになっているのか気になったので少し調べてみた。
『カルメン故郷に帰る』のロケ地は北軽井沢で行われた。地元のHPにある「北軽井沢と映画」では、北軽井沢で撮影された日本映画の代表作として紹介されている。
「北軽井沢映画年表」と題されたリストがあるんだが、日本映画研究でロケ—ション研究する時の良い資料になりそうだ。
『カルメン故郷に帰る』で「北軽井沢」の文字が出てくるのは、リリー・カルメンとマヤ朱実が東京からやってくる直前の駅のシーンである。
このシーンが撮影されたのが、旧草軽電鉄北軽井沢駅である。現在は駅舎モニュメントとして保存されている。
http://www.kita-karuizawa.jp/guide/ekisya.html
↑HPから画像をお借りした。こんな感じになっているようだ。
次に、『カルメン故郷に帰る』の重要な舞台のひとつである小学校について。ロケが行われた時は、千ヶ滝小学校という名称で、現在は軽井沢中部小学校となっている。軽井沢中部小学校は、1956年に千ヶ滝分校、南小学校、そして軽井沢東小学校の一部を統合して設立されたらしいから、映画撮影当時は千ヶ滝分校が正しいのかもしれない。現在の学校の様子は、なんとなくだが、映画の中で子供たちが失明した田口先生が奏でるオルガンに合わせて歌い踊る場面を思い出さなくもない。
軽井沢中部小学校の校歌を聴くことができる。映画の中で子供たちが歌う《ああわが故郷》に似ているかも?と期待を寄せていたが、残念ながら似てはいなかった。
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小学校について 3月7日追記
先日映画の舞台となった千ヶ滝分校は現在軽井沢中部小学校となっていると書いたが、これは誤りだった。千ヶ滝分校は中部小学校に統合されたので、現在の中部小学校がある場所と千ヶ滝分校の所在は異なる。堂脇博の「「カルメン故郷に帰る」の再上映をみる」()によれば、千ヶ滝分校は「スーパー・マーケットに変身、隣はテニスコートになって若者たちがレジャーを楽しんでいる」とある(45)。この記事はもう30年近く前のものなので、おそらく2016年現在姿は違うだろう。
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最後に、カルメンが幼い頃に木の下で牛に蹴られた場所。
最初に紹介したHPに北軽井沢の観光名所マップがあり、その中に、「カルメン故郷に帰る」の木というのがある。「えっ、まだあるの?」と驚いたんだが、下記サイトによれば、2015年8月時点でも立派に根付いているようだ。直接見てみたい。
こちらのブログでも詳しくレポされている。
木下は信州で映画を作るのが好きだった。彼はなぜ信州を好んだのか。彼の映画に、信州の地域性は表れたのか。ロケーションの考察は日本映画研究においてはまだあまり行われていない分野なので、今後の発展に期待したい。
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『カルメン故郷に帰る』とまったく関係がないようだが、最近吉幾三の「俺はぜったいプレスリー」を繰り返し聞いている。実は、この曲をもとに山田洋次が原案を書き、満友敬司が監督した『俺は田舎のプレスリー』という映画がある。『カルメン故郷に帰る』のパロディとも言える作品で、とても楽しい。