No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

黄色い円、母の見つめる先に--『レディ・バード』(グレタ・ガーウィグ、2017)

 2018年アカデミー賞の作品賞にノミネートされているグレタ・ガーウィグ監督『レディ・バード』(Lady Bird、Greta Gerwig, 2017年)を観た。ネタバレを含むが、好きだったショットをさくっと取り上げたい。

 


Lady Bird | Official Trailer HD | A24

 

 ガーウィグは『フランシス・ハ』(Frances Ha, Noah Baumbach, 2012)や『20センチュリー・ウーマン』(20 Century Women, Mike Mills, 2016)などで好演する女優で、これまで脚本や共同監督の経験があり、本作『レディ・バード』で初監督を務めた。2018年度ゴールデン・グローブ賞でのシアーシャ・ローナンとのバックステージ・インタビューが印象的で、楽しみにしていた作品の一つ。

 

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 『レディ・バード』の物語は、2002年、カリフォルニア州中央部の田舎町サクラメントを舞台とする。カトリック系の高校に通う主人公「レディ・バード」(本名はクリスティン)が家族や友人関係、恋愛や将来について悩む姿が描かれる。IMDBが本作をコメディ・ドラマと位置づけているように、本作はユーモアを大切にしているが、腹を抱えて笑うような描写はほぼない。思春期の少年/少女が他人と接するとき、それぞれが生きる独特の世界観/視点と他人のそれとの間に発生する不器用さやぎこちなさがユーモアを作り上げている。もちろん、対人関係で引き起こされるぎこちなさから、大人もまた自由であるわけではない。

 

 親元を離れること、自立すること。カミング・オブ・エイジを扱う従来のアメリカ映画は主人公の大学進学を重要なプロット要素にしばしば採用してきた。『レディ・バード』も例に漏れず、西海岸に住む主人公にとって東海岸の大学に進むことは死活問題であり、なんとしても達成されなければならない。どこの大学へ進学するのか、この問題は物語が進むにつれて着実に深刻化し、その進度に合わせて、主人公は母親との距離を探り続けなければならない。母親も同様に娘との距離の取り方を模索していく。大学進学を機転に、娘と母(もちろんその他の家族も)がお互いへの愛の距離を測り直し、リロケートしていく過程の描き方は本作の魅力のひとつだ。

 

 西海岸から東海岸へ横断する主人公の物理的なリロケーションは、母親にとってもストレスフルな体験となる。長距離の引越を伴う娘の大学進学とどのように母親が折り合いをつけるのか。娘と直接会話することを避けてしまう母親は娘への想いを手紙に綴る。そのとき、母親が手紙をしたためるのが黄色いノートパッドで、書き損じた紙がいくつも丸められているのが分かる[図1]。空港へ娘を送る際も、母親は少ない言葉を交わすだけでけっして見送ろうとせず、夫が出発を送り届ける間、車を走らせる。

 

 このとき、本作で好きだったショットの一つ[図2]が現れる。振り返ることなく車を走らせる母親。画面後景には夫と娘がぼやけて見える。ショットが十数秒ほど続く間、母親はまるで言い残したことがあるかのように、ときおりバックミラーに視線をやる。母親の主観ショットは挿入されないが、旅立とうとする娘をバックミラー越しに見ているのではないか。

 

 このショットについてもう一つ特筆すべきは、画面右から差し込む太陽の光の反射によって表現された黄色い円を母親の顔に並べている点だ(もしかしたらポスプロで挿入されているのかもしれないが)。この黄色い円は[図1]のテーブルにあった書き損じて丸められた紙と似ている。そう仮定すれば、この黄色い円は母親が娘に空港で伝えられなかった言葉を具現化したものとして演出されたと考えることができる。実際、このあと母親は空港へと急いで戻り、主人公を見送ろうとするのだから。

 

 娘に宛てて書き損じた言葉は父親のある仕業によって主人公に届けられる。主人公が留守番電話で母親へメッセージを残す際、進学前に運転免許を取得した彼女がサクラメントの街をドライブする様子がフラッシュバックとして挿入される。母親へのメッセージをボイスオーバーにしつつ、サクラメントの街並みが呈示されていく。それらの街並みを見つめる主人公を捉えるショット[図3]では、[図2]の母親のように、主人公の顔の横に黄色い円が見える。だが、今回の円の黄色さは少し薄く、しかも彼女の顔に黄色みがかかるように、円の左側がフレームににじみ出しているように見せる演出は興味深い。

 

 本作のファースト・ショットがベッドで休む母親と娘をシンメトリーに捉えた構図であるように、本作は終わりにかけて二人を編集によって時空間を超えて重ね合わせていく。母親が運転席から見たサクラメントの景色を自分も運転席から眺める体験を経て、主人公は母親との関係性において距離感をリロケートしていく過程はほろ苦くて清々しい。

 

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[図1

 

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[図2]

 

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[図3]