No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

Postwar Japan in Film: 5th week

同志社大学で開講されている"Postwar Japan in Film"も今週で5週目を迎えた。四週目にあたる週は、僕はサンフランシスコへリサーチに行っていたため参加することが出来なかったが、土本典明監督の『水俣 - 患者さんとその世界』(1971年)を上映した。GWのため議論は行なわれなかったようだが、エッセイの宿題がしっかり課せられている。

 

第五週目は戦後日本における女性をテーマに、成瀬巳喜男監督の『女が階段を上がる時』(1960年)を観た。ドキュメンタリーを含め、これまで四本の戦後日本映画を観てきたが、男女平等やジェンダー、家庭での男女の役割に対する人々の態度がいかに変化してきたかという点で最も学生達の興味をひいた印象をうけた。

 

『女が階段を上がる時』の予告編はこちら。


When a Woman Ascends the Stairs 女が階段を上る時 (1960 ...

 

今回は、「良妻賢母」をキーワードに高峰秀子演じる圭子や彼女を取り巻くホステス、そして彼女たちに毎晩のように会いにくる男たちについて議論を進めた。着物を纏い、男性を喜ばせる仕草や言葉を操る高峰秀子は、表面的には良妻賢母の素質をもつのかもしれない。今作に登場する家庭はどれも問題を抱えており、夫婦生活がうまくいっている家庭は少ないように見える。圭子を狙う男たち(夫たち)は、自分の妻が与えてくれないものを彼女に欲求し、金やプレゼントを使い、彼女の気を引こうとする。しかし、本当に圭子は良妻賢母になりうる女なのだろうか?

 

これまでの議論でも取り上げたように、戦後の日本社会において経済的パワーを持つものがある種の権力を有していたことは間違いない。それは現代社会においても共通することだ。今作では、男も女も皆、それぞれ違った理由はあるが、お金を欲している。また、お金を持つことが、自分の生活を確保する手段であり、自分の欲求不満を解消する術として機能している。圭子にとって、お金をもつことは自分のお店を開く可能性を高めることにつながるだけでなく、一人で生きて行くことを意味する。一度結婚していた女性として、圭子には結婚という道は残されていないように見える。

 

この意見に対して、もちろん反対意見もあるだろう。藤崎(森雅之)、関根(加藤大介)や小松(仲代達矢)は圭子に好意を持っている。小松はマネージャーとして圭子を見守り、関根は彼女に黒水仙の香水を渡し、結婚をちらつかせる。藤崎にいたっては、圭子と一夜を共にし、愛の言葉を交わす。しかしながら、圭子はこの中の誰とも結婚へと至らない。なぜか?

 

それは、圭子を愛するという男は全員、少なくとも今作の中では、彼女をバーのママとして最高の良妻賢母としてしか見ていないからだ。小松にとって、圭子は仕事のパートナー。圭子が仕事中につける香水と同じ物を渡す関根は、バーでの圭子の姿を望み、香水をつけさせることで、その姿を継続させようとしている。そして、二人の子供を抱え、圭子と同じくらい表面的には良妻賢母に見える妻を持つ藤崎が、わざわざ離婚してバーのママを選ぶだろうか。恐らくないだろう。

 

ジェンダーや男女平等に関する議論は盛り上がることがよくある。それは学生たちの生活に身近であり、興味があることを示している一方、きちんとした論理や歴史的、社会的背景を踏まえた意見ではなく、その場で思いついたことを発している場面も多く見かける。この点については僕自身も気をつけなければならない。

 

女が階段を上る時 [DVD]

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今回読んだ論文はこちら。

  • Jared Taylor, "Sex and Sex Roles." Shadows of the Rising Sun.
  • Suzanne H. Vogel, "Professional Housewife: The Career of Urban Middle Class Japanese Women."
  • Merry White, "Home Truths: Women and Social Change in Japan."