映画の色について:テクニカラー、アグファカラー、フジカラー
木下恵介『カルメン故郷に帰る』(1951)に関する先行研究を読んでいると、映画の色について面白い比較があったので以下にまとめてみたい。
戦後、日本で最初に公開されたアメリカのテクニカラー映画は、ウォルター・ラングの『ステート・フェア』(1945)である。その時はまだテクニカラー映画の画面にスーパーインポーズを入れる技術が不十分であったため、字幕無しで1948年に公開された。字幕無しでも観客に映画と自己同一化させることができたのは、俳優の表情と動きだけで様々な表現ができると信じ、実際にそれをやり遂げる技術をもったウォルター・ラングの才能にある。
1947年、日本人はもうひとつ長編色彩映画を観ている。ソ連が公開した『石の花』は、敗戦後ドイツから接収した「アグファカラー」の設備と技術を用いて製作された。この作品は1946年から始まった第一回カンヌ国際映画祭で、カラー撮影賞を授与された作品であった。
テクニカラーに比べて、アグファカラーはかなり淡くて不分明であると言われた。しかしながら、その水彩画のような色合いが、公開時の観客にスクリーンを仰ぎ見る気持ちを経験させたのだ。
アグファカラーは「発色式」であり、1枚のフィルムですべての色を出せるように、三原色の赤、青、黄にそれぞれ感光する乳剤が、三層に重ねてフィルムに塗られている。これにより、従来の白黒撮影時に使うキャメラを撮影に使用できる。しかし、モノクロームであれば一度で済む現像作業が、三色出すために三回必要であった。
一方、イギリスでもともと発明されたテクニカラーは「三色式」であるため、撮影機の基本構造が異なる。キャメラの中に、特殊なプリズムが内臓されていて、入ってくる光を三原色に分解し、赤用、青用、黄用の三本の白黒フィルムに、同一の像を写す。この三本の白黒フィルムを、赤用のフィルムは赤い染料、青用は青い染料、黄用は黄染料で染色してから別に用意してある墨版(薄く白黒の出たフィルム)の上に、順々に載せて捺染すると、三原色が合成されて全部の色がでる仕組みになっている。
このテクニカラー方式は、撮影にフィルムを三倍要するうえ、大掛かりな特製の撮影機を使用するので、経済的に貧しい国では活用不可能であった。したがって、三色をうまく重ね合わせる技術も難しく、テクニカラーが発明された元祖のイギリスとアメリカ以外には普及しなかった。
日本の富士フィルムと小西六写真工業が取り組んだのはアグファカラーと同じ、発色式であったがアグファカラーとは異なる方式を採用した。では、アグファカラーとの違いは何だったのか?
アグファカラーは、三層の乳剤自体が発色する方式であり、これは「内形」と呼ばれた。これに対し、フジカラーは「外形」と呼ばれ、乳剤自体が発色するのではなく、現像工程で一色ずる着色していく方法であった。
また、アグファカラーがネガの原板からポジのプリントを作る「ネガ=ポジ方式」であるのに、フジカラーは、ポジの原板からポジのプリントを作る「ポジ=ポジ方式」であった。テクニカラーともアグファカラーとも違う、独自の発色方式を開発することを通して、国産カラーによる最初の長編劇映画の製作について富士フィルムは日本映画監督協会に申し出ることになった。
次回は、フジカラーを使った映画『カルメン故郷が帰る』がどのようにして製作されたのかについて注目したい。
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