No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

映画『GODZILLA』(2014)


「GODZILLA ゴジラ」予告3 - YouTube

 

公開中の『GODZILLA』(ギャレス・エドワース、2014)を観てきた。TOHO CINEMASへ映画を見に行くたびにずいぶん前から予告編が流れていたこともあり、ずっと気になっていた作品。

 今日は映画1100円の日だったので、お客さんはたくさん入っていた。子連れや高校生くらいのグループ、カップルや一人のお客さんというように、観客層には幅があった。本多猪四郎監督、特技監督円谷英二、音楽伊福部昭が組んで製作された1954年版の初代『ゴジラ』を観たことがある観客がどれほどいたかは定かではないが、夏休み映画としてこの2014年版ハリウッド製ゴジラの咆哮はどれくらいの映画観客の耳に届くのだろうか。

 先に結論から言うと、本作は残念な仕上がりとなっている。その一番の理由は、(大変簡潔にいえば)ゴジラと他の怪獣に人間がいかに立ち向かうのかが本作の大筋なのだが、その一つの物語をいくつもの小物語が構成しており、どれも盛り上がりに欠ける。「おーー、このあとどうなる?!」と観客に期待させ、一気に落とし込む。何も見せない。ひとつひとつの小物語にもっと焦点を当てて欲しかったと思う。

 もう一点、本作は観ていて正直辛い。ゴジラVS他の怪獣のバトルを見せることだけが本作の目的ではない。前述した通り、本作は細かいエピソードを挿入し続けることで、どのようにしてゴジラが見つかり、どのようにしてそれぞれの怪獣が目覚めたか、そしてどのようにそれらの怪獣が人間を恐怖に落とし込むのか、またゴジラが去る様を見つめる人間がなにを考えているのかを視聴覚的に明確に提示する。ただ、本作に登場する人々が経験することは3年前の3.11で東北を中心に日本全体が経験した自然災害と(今も継続する)放射線の問題と非常に似ている。一体目の怪獣が目覚めた起こる地震について挿入される災害ニュースフッテージはまるで3.11の時と同じような印象を与え、ハワイの浜辺で波が一気に引き、そして大津波となって人々や街を一瞬で飲み込んでいく様子は3.11以降YouTubeなどの動画共有サイトSNSに溢れた映像であった。

 このような災害描写を含んだ映画を、たとえ怪獣映画、特撮映画の日本代表ともいえる「ゴジラ」という文脈だったとしても、観ていて楽しいと感じる観客は少ないかもしれない。もちろん、このような描写があるからという理由だけで本作を駄作だと決めつけるつもりもないし(じっさい完全に駄作だとは思わない)、本作を非難するつもりはない。けれども、本作で起こるある種の恐怖災害的体験は間違いなく登場人物たちの心に残り、その記憶に苦しめられる人間もいるはずだ。死んだと思われた「英雄」ゴジラが目を覚まし、清々しいサンフランシスコの朝日を背景に海に戻って行く様子を人々は安堵の目で見つめているが、ゴジラが再び戻ってくるとしたら、温かく迎えることができるだろうか。物語映画はあくまでも虚構でありながらも、日本の富士山、サンフランシスコのゴールデンゲイトブリッジなど我々が日常的に親しい風景の崩壊と、われわれが日々生活する映画外空間(現実)において起こる災害による風景の崩壊のイメージが重なりあった時、虚構世界が現実を浸食し、いつか融合してしまうような恐怖感を観客が感じても不思議ではない。

 突っ込みどころ満載の映画ではあるが、映画技術の進歩には唸らせられる作品だと思う。3Dで観れば、思わず観客席で飛び上がる瞬間もあるだろうし、雨の音はまるですぐそばで雨が降っているようにも感じる。

 また、ゴジラが他の怪獣と戦うところは怪獣映画として面白い。ゴジラのビームはいつ出るのかな、と楽しみにしていたら、最後にとんでもない使い方をやってのけるゴジラに拍手を送りたかった。