No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

『メアリと魔法の花』(米林宏昌、2017年)

心待ちにしていたスタジオポノック第一作『メアリと魔法の花』(米林宏昌、2017年)を観てきたが、どう評価すれば良いのか分からない程に困惑している。公開前に読んだスタジオポノックのインタビューで、本作がスタジオジブリの『魔女の宅急便』を意識して作られたと記憶していたから、『魔女の宅急便』を初めて観たときのわくわくを別の形でもう一度体験できるかもしれないと期待していた。残念ながらその期待が満たされることはなかった。

 

気になった点をいくつか挙げておく。

 

・夜間飛行が咲く頻度。なぜ7年に一度なのか。なぜあの形状の花が「夜間」「飛行」という名前なのか。

・そもそもなぜ黒猫ティブはメアリを夜間飛行へ導いたのか。ティブとギブ(もう一匹の猫)が花を警戒しているのは明らか。もし猫たちが花に対してメアリに何かしてもらいたかったのだとしても、メアリが二匹の信頼に値すると判断できる要素/きっかけが不明瞭である。

・メアリの大叔母が冒頭の赤毛の魔女なのであれば、なぜ彼女が現在住んでいる土地に定住することになったのか。夜間飛行を見つけたかった? 根絶やしにしたかった?

フラナガンの役割は? マダムやドクターの手に余るような存在として描かれている印象。フラナガン宮崎駿

・敵役が雑魚過ぎる。赤毛や黒猫の使い魔が偉大な魔法使いの証なのであれば、なぜ警戒しないのか。

・魔法がしょぼい。「呪文の神髄」をメアリが初めて開ける時、いくつかの魔法がメアリの額から体内へ吸収されていく描写には、その後、メアリがそれらの魔法を使って何かしらの困難を乗り越えるのかもと期待した。しかし、メアリが使のはたった1つの魔法だけ。もちろん、その唯一使う魔法が物語において重要な鍵であることは確かだが、「呪文の神髄」をもっと活用しても良かったのでは? 公式HPのストーリーに、「メアリは、魔法の国から逃れるため『呪文の神髄』を手に入れて、すべての魔法を終わらせようとする」とあるが、実際の作品でメアリが「呪文の神髄」を手に入れるのは偶然の出来事であり、「魔法の国から逃れるため」でも「すべての魔法を終わらせ」るためでもない。

・メアリが魔法を解くことで助ける動物たちは、スタジオポノックのアニメーターたちなのか? 魔法や魔法使いが宮崎駿ジブリを連想させるものだとすれば、メアリが魔法を拒絶する展開は、スタジオポノックジブリとは異なる手法や形態で活動する表明?

・夜間飛行の効力が切れたはずのメアリがなぜ最後に飛ぶことができるのか? 「魔法が使えるのはこれで最後」的な発言をメアリがするが、「いや、あなた、しばらく前に魔法使えなくなったじゃん」と突っ込んでしまった。フラナガンがほうきを修理してくれるが、魔力を失い、折れてしまったほうきを修理し、再び魔力を授けることができるフラナガンの力の説明はないのか?