No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

彼女は曲がり方を教えてくれた〜西川達郎『向こうの家』(2018年)

 シアター・イメージフォーラムにて西川達郎『向こうの家』(2018年)を観た。ツイッターで宣伝イメージを見て気になっていたが、実際のチラシも予告編も事前に見ずに出かけたので、映画が始まってから本作が東京藝術大学大学院映像研究科の修了作品として製作されたものであることを知った。

 


映画専攻12期修了作品『向こうの家』(西川達郎監督)予告編

 

 主人公の萩(望月歩)は両親と姉と暮らす平凡な高校二年生。夏休みが終わった直後、部員二人の釣り部が廃部になっても大して悲しむでもなく、学校を休んで居心地の良い家で『釣りバカ日誌』の漫画を読んで過ごす。そんなある日、父の忘れ物を届けにいった喫茶店で、父から瞳子大谷麻衣)という女性と不倫関係にあること、瞳子が暮らす借家の契約がもうすぐ切れることを打ち明けられ、だからそれまでに瞳子を追い出すのを手伝って欲しいと頼まれる。居心地の良い我が家と瞳子の家を行き来する中で、萩は何を思い、経験するのか。

 

 『向こうの家』で用いられる撮影手法や編集手法は王道から外れることなく、丁寧にショットとショットをつなぎ合わせることで萩の日常と非日常を作り上げる。その丁寧さは専業主婦の母親が清潔に保ち、均整のとれた(ように見える)我が家の居心地の良さを作り上げる役割をも十分に果たしている。その居心地の良い我が家において、まるで気持ちの良い水温を見つけた魚のように、居間のソファーでくつろぎながら漫画を読む。ソファーで寝転ぶ、細身で長身の萩/望月歩の身体をカメラがフルショットで捉えるとき、居心地の良さと画面に収まりきらない身体の窮屈さを同時に描くことに成功しているように見えたとき、本作の王道から外れない丁寧さが秘めた力はなんだろうと考え始めた。

 

 丁寧さが可能としたことの一つに、萩の身体表象が挙げられる。前述のソファーの場面だけでなく、漫画を読む場面において萩の身体はいつも平べったく、軟体的な印象を与える。公園で彼女を待つ場面でも彼の身体はベンチと平べったく密着し、瞳子さん追い出し作戦第一目をあっけなく失敗し自室で仰向けになって漫画を読む彼の身体は柔らかい。後者については多分彼がコットン生地の柔らかそうなハーフパンツを履いていることにも起因すると思う。漫画を読む萩の身体はどこにいても平面的で横たわっているのだが、彼の身体が立ち上がり、上へ上へと登っていく様子を見せるのが瞳子の家へ初めて行くシーンだ。瞳子の家へと続くジグザグの階段を上がっていく萩を見たとき、何かが変わる予感がした。この階段を上へ上へと登り切った後に訪れる瞳子との出会いが、本作において萩が変わっていく転機を与えてくれるのだろうと実感させる。追い出し作戦第一日目の失敗と父と瞳子が別れた後の朝をのぞいて、萩の身体が平べったく横たわる印象が強烈に残る場面はなくなっていく。

 

 本作で印象的だった場面が二つある。一つは、瞳子の家に父親が訪ねてくるシーン。レモンのシロップ漬けをお酒で割って晩酌する父親と瞳子に対して、萩は遠慮がちな態度をとるが一緒に机を囲む。自宅ではテーブルを挟んで母親と正面を向き合って話す父親が、瞳子とは肘がくっつきそうな距離で愛おしそうに話をしている。父親の顔からは威厳さが消え失せているかもしれないが、本作で興味深かかったのは、萩が父親のことを嫌ったりしない性格であることだ。驚きはしているだろうが、ありのままを受け入れている(ように見える)。この場面でとてもいいショットだなと感じたのは、瞳子と父親を見つめる萩を捉えた二度のクロースアップ。一度目は、まず瞳子へ、次に父親へ視線をやる。二度目は、まず父親から、次に瞳子へ。これら二つのクロースアップに内在する差異は非常にわずかなものだけれども、強く印象に残った。父親の訪問まで、萩は瞳子とたっぷり時間を過ごしていた。そんな瞳子が父親に見せる表情を見る父親はどんな表情をしているのか。また、父親が瞳子に見せる表情を瞳子はどんな表情で見つめているのか。少年が見つめる大人の表情を観客は見ることはできないが、萩が見せる微妙な視線の差異が語る何かがそこにあった。

 

 印象的だったもう一つの場面は、萩が自転車を練習するところだ。瞳子が後ろから自転車を支える様子は、擬似的な息子と母親の関係のようで少し狙いすぎな印象も受けた。だが、ここで瞳子が萩にしっかりと教えるのは、自転車をまっすぐ漕ぐことだけでなく、曲がれるようになることだ。直進するだけでなく、道をそれることも教える。本当に些細なことではあるのだが、自転車で曲がることをきちんと瞳子が教え、その様子をカメラに捉えさせた点は本作のエンディングで大きな役割を果たす。学校からの帰り道、彼女と待ち合わせしていた萩は自転車で颯爽と現れる。二人は自転車でそれぞれ坂道を勢いよく下る。正確な台詞は忘れたが、「私より自転車乗るのうまくなってない?」という彼女に「そう?」と返す萩。坂道を下りきった二人はぐるっと右に曲がっていく。映画はそこで終わるのだが、瞳子と出会うまで自転車に乗ることすらできなかった萩が、恐れることなく坂道を下り、そして苦労することなく曲がることができるようになった。ただそれだけ、たったそれだけの描写だが、瞳子との出会いが萩の中で生き続けていることを運動だけで巧みに表現する一瞬として強烈に記憶に残った。