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No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

Postwar Japan in Film: 2nd week

"Postwar Japan in Film"の第二週二回目の授業は、今村昌平『豚と軍艦』(1961年)の感想を中心とした議論を行なった。1945年から1952年まで続いたthe Occupationの後、日本映画は戦後日本社会における日本人とアメリカ人をどのように表象したのか。

 

授業でまず議題に挙ったのは、『豚と軍艦』という題名が示すもの。この映画の観客であれば、「豚」が日本人を表し、「軍艦」がアメリカを指すという簡単な区別をするであろう。「軍艦」という言葉は、鎖国中の日本へ来航し、日本を開国へと交渉したことで知られるマシュー・ペリーが搭乗していた黒船を想起させることが可能である。また、本作を通して、軍艦のイメージは映像通り社会的に強者の立場の者たちと直結されている。一方、「豚」という言葉が本作において「日本人」を明白に指し示しているか否かについては、性急な判断は控えられなければならない。

 

「豚」という言葉は人種差別的単語でもある。1900年代初頭の日本社会において、「豚」を中国人を差別的に中傷する言葉として使われていた。だが、『豚と軍艦』では、「豚」は中国人登場人物に向けて放たれるものではなく、やくざ組織に属する日本人登場人物へと向けられる。これらの日本人らに共通している特徴は、greedy「どん欲」であることだ。自分たちの私利私欲に任せて、彼らは行動し、そして最終的に自滅していく。主人公とその仲間のやくざたちが子豚の丸焼きを食べるシーンで起こる出来事は、まさにどん欲さが引き起こす末路を明示している。

 

『豚と軍艦』は、アメリカ人批判の映画か、もしくは日本人批判の映画であるか。学生の一部は、今作におけるアメリカ人の表象をもとに、今作はアメリカ人批判の映画であると意見した。彼らの意見には部分的に賛同することも可能だが、今作はどちらにもなりうる作品だと考える。今作は主人公の男女の視点を通してみたアメリカ人の描写が行なわれている。彼らの目が捉えるアメリカ人は、愚かで動物的な生き物だ。彼らによるアメリカ人描写のみに注目すれば、今作はアメリカ人批判の映画となる。だが、一方で、アメリカ人賛美の他の登場人物から今作が展開されていたとしたら、自分たちの生活を豊かにしてくれるかもしれないアメリカ人らを批判し軽蔑する主人公春子こそが、批判される映画となるであろう。映画が誰の視点を通して展開するかについて、観客は敏感でなければならない。

 

今作は、今村昌平による戦後日本社会における資本主義に対する批判という可能性がある。今村はマルクス主義最中に早稲田大学で歴史を学んだ。彼に関する先行研究やインタビューを読めば、彼が人間身体の下半身や社会の低層に興味を持っていたことが分かる。映画を通して、社会学的に戦後日本を風刺的に解剖したのが今村昌平という映画作家なのかもしれない。