No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

【要約】Antoine Damiens, LGBTQ Film Festivals: Curating Queernessのイントロダクション

 毎年12月に開催される日本映画学会の全国大会を終えました。今回は今年の春に修士課程へ入学した大学院生がケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016)について発表しました。博士後期課程へ進むか、あるいは就職活動をするか、はたまた他の活動を模索していくか、その選択を広げるためにもM1から積極的に発表するのは修士論文に早くから取り掛かれるので良いことです。本人はすごく緊張されていたようだけれど、質疑応答もきちんと答えられていたし、素直にすごいと思いました。引き続き頑張ってもらいたいです。

 

 日本映画学会第19回大会のプログラムは以下からアクセスできます。

 

 学会を終えて12月も半ばに差し掛かり(原稿はまだ終わらず...)、金沢大学では第4クォーターが始まりました。大学院の授業ではAntoine DamiensのLGBTQ Film Festivals: Curating Queernessを読みます。せっかく(?)なので自分用のメモとして、授業後に各章の要約を残していくことにしました。

"Introduction. Festivals, Uncut: Queering Film Festival Studies, Curating LGBTQ Film Festivals"

・本書は一つの矛盾から誕生した= 研究者たちが映画学やメディア・スタディーズにおいて独立した分野として映画祭研究を確立しようとしてきた一方で、批評家や芸術関係者たちはLGBTQ映画祭の文化的関連性について長年疑問を抱いてきた。

・本書は、現在の映画祭研究で暗示される理論的かつ政治的なナラティブを問うことで、映画祭研究の構造そのものを考えることを目的とする。特に、映画祭研究の正当性とはどこにあるのか、どのように担保されるのか。

・映画祭研究は現時点(2020年)において行き詰まりにある。

 

Pre-screening: Constituting Festival Studies

・映画祭はヨーロッパを中心とした現象として始まった。ヴェネチア(1932)、カンヌ(1946)、ベルリン(1951)。第一次世界大戦によって停止したヨーロッパの映画産業の「穴埋め」としてハリウッドが進出して作り上げた配給のネットワークに抵抗するために、「芸術性」の高い映画を各国が自ら推薦して映画祭へ出品した。

・1960年代からは映画祭プログラマーが主体となり「芸術性」の高い映画を評価する場となり、1970年代からは映画マーケットを意識して映画監督の位置付けを強調するようになる。映画祭研究で頻繁に言及されるネットワーク構築の重要性が認識され始める。ネットワークに関してはde Valckの研究がある。

・ネットワークとサーキット(circuit)の違いについて(p.21)

・LGBTQ映画祭に関する研究や言説は1990年代からJump CutやGLQを中心に発展してきた。例えばPatricia Whiteが編集した1999年GLQの特集がある。ホワイトによれば、クィア映画に対する集団的な経験とLGBTQの人々が映画と結ぶ関係性の再概念化を図る上で理想的な場所になった。

・LGBTQ映画祭に関する研究の多くは未出版の博士論文として存在する。本書はそれらの博士論文が提供する知見や経験をもとに書かれている。これはDamiensが頻繁に繰り返すephemeralやforgottenの概念と繋がるところ。

・LGBTQ映画祭に関する研究において、多くの研究者はクィアな映画文化と映画祭を企画・運営する経験の関係性を分析する傾向にある。Pink Dollar economyに関するRhyneの研究、フーコーヘテロトピアを用いたZielinskiの研究などに加え、Loistによるクィア映画文化の構築に関わるLGBTQ映画祭の役割に関する研究、Richardsによるクリエイティブ産業およびコミュニティに対するクィア映画祭の位置付けに関する研究など。

・これらの先行研究に対して本書が見せる違いは、大きなLGBTQ映画祭ではなく、忘れられやすい、よりマイナーなLGBTQ映画祭に焦点を当てる点に見せる。Cutされてきたものではなく、uncutに含まれるものを読み解きたい。

 

Queering Festival Studies: Critical (Film) Festival Studies and the Festival as a Method

・本書はLGBTQ映画祭に関するものであることと映画祭研究をクィアするものであることの微妙な境界線(fine line)の間を舵取りすることを目指す。

・White、Waugh、Straayerによる特集が提示したように、LGBTQ映画祭は、アイデンティティに関係するため/関係するにもかかわらず、映画祭を再概念化する効果的な枠組みを提供する。アイデンティティに対するLGBTQ映画祭の焦点は、映画祭の企画・運営と学術的な知識生産(knowledge production)の中心にある権力の力学を可視化させる。

・ゲイの研究者としてuncutに対して有す情感を否定できない。

・リニアではない歴史の記述。フェミニスト歴史学や女性学の研究手法を参照する。

・ムニョスが提示したように、クィアネスは時間に対する特定の関係を伴う。LGBTQの人々は「公式」の歴史やアーカイブから抹消されてきたと同時に、異性愛の直線的な時間性の外に位置付けられてきた。その文脈において、研究者たちは、時間におけるクィアな主体とは何かを考えつつ、LGBTQのアイデンティティとは何か、そして同性愛的欲望の横断的な歴史的持続性の間の境界線について模索してきた。

 

Labour of Love: Desiring Scholars/Festivals

クィアな学術的研究と映画祭の企画・運営に並行して存在してきた著者の経験。

・Uncutの応用:研究対象や本書を捧げる人々から著者自身の存在を切り離すことを拒絶する(refuses to separate, or cut)。自身の経験がなければ書けなかった本。

・個人的な経験を切り離すことはゲイ&レズビアン研究では古くからやられてきたこと。

・Friendship and fucking! 映画祭(の運営)に参加し、そこで出会った人々とさまざまな関係性を構築する。さまざまなstickyさがある。

 

The Cut: A Note on Methodology

・何を研究対象にするか/しないかの選択。Uncutに惹かれつつ、限界もある。

 

"Although my focus is on LGBTQ festivals organized in the West, I do not want to suggest that 'homosexuality' and 'queer cinema' are concepts that can be applied unilaterally to describe the realities of LGBTQ people in various European countries, Canada, and the US. In resituating festivals within the larger context of geographically specific understandings of queerness, I partly aim to provide a more nuanced understanding of the West -- one that does not take US identity politics as the only way of expressing same-sex desire" (p.31).

 

Curating the Book

・本書の構成について