No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

映画研究書メモ

近年は映画研究書ラッシュで、僕が所属しているゼミの先輩方の単著も刊行されている。直近で読もうと思っているものをメモがわりに列挙しておく。

 

 

 

日本映画の大衆的想像力―“幕末”と“股旅”の相関史

日本映画の大衆的想像力―“幕末”と“股旅”の相関史

 

 

映画の胎動: 1910年代の比較映画史

映画の胎動: 1910年代の比較映画史

 

 

溝口健二論: 映画の美学と政治学

溝口健二論: 映画の美学と政治学

 

 

映画と文学 交響する想像力

映画と文学 交響する想像力

 

 

恐怖の表象(仮): 映画/文学における〈竜殺し〉の文化史

恐怖の表象(仮): 映画/文学における〈竜殺し〉の文化史

 

 

 

第11回日本映画学会プロシーディングス

論文の締切続きのためブログの更新ができていませんが、昨年12月に第11会日本映画学会で行った口頭発表のプロシーディングスが発刊されました。

 

http://jscs.h.kyoto-u.ac.jp/proceedings-zenkoku-11.pdf

 

僕の発表は、「『カルメン故郷に帰る』と『カルメン純情す』におけるカルメン像の変化--音楽面からの再評価を目指して」(23~33頁)です。

 

やっぱり我が家は最高!〜山田洋次監督『家族はつらいよ』

映画館で腹を抱えて笑うには、少しばかりの勇気がいる。外国のコメディ映画を見ていたとして、字幕が追いつく前にジョークで笑ってしまって周りのお客さんにうざがられる、なんて話はよく聞く。僕が笑うと怒られるかなと、いつも気を使ってしまうのが熟年夫婦の離婚話を主題にした映画だ。映画のなかで繰り広げられていることはかなりハチャメチャなのに、映画館の中はしーーーんとしたままという経験は両手の指だけじゃ足りない。

 


『家族はつらいよ』 予告編

 

山田洋次監督の最新作『家族はつらいよ』を見てきた。誕生日に見る映画じゃないかなーと一瞬悩んだが、どうせ見るならコメディがいい。シアターに入ると、僕以外に座っていたお客さんたちは年配の方が多い印象を受けた。この客層と映画がマッチしていたように思う。映画が始まってすぐにあちこちから大きな笑い声や拍手する音が聞こえた。おかげで僕も腹を抱えて笑うことができた。とくに鶴瓶が出てきた時は声をあげて笑ってしまって、さすがにちょっと恥ずかしかった。

 

東京家族』のキャストを使ってセルフパロディに仕上げた本作は、全体を通して笑えるポイントを用意しているだけでなく、山田監督が間違いなくオマージュを捧げている小津安二郎監督作品への引用も散りばめられているから、それを見つけるのも楽しみの一つだ。居酒屋での橋爪功の会話や佇まい、座る位置、『東京物語』が流れてからの橋爪功を捉える画面構成など、小津への敬愛にあふれた映画だなーと心打たれた。映画学の学生で、『家族はつらいよ』と小津作品の比較検討を試みる人もすぐに出てきそう。

 

妻夫木聡のキャラクターを、女々しい男と一言で表す評者もいるかもしれない。実際、他の男性キャラクターと比べると、そのような印象、というか二項対立的な比較は簡単にできると思う。妻夫木と結婚しようとする蒼井優(憲子という名前、なぜ憲法の憲にしたのだろう)に対して橋爪功が家父長的な発言をする場面では、妻夫木はその価値観を前近代的だと言う。自分の両親が冷徹に離婚した蒼井は、妻夫木の発言を完全に否定はしないまでも、両親の離婚について家族会議が開かれるほどの関係性を羨ましいと言う。この蒼井の発言が直後のドタバタを発生させるキーになるわけだが、僕は正直驚いたというか、腑に落ちなかった部分もある。

 

それはおそらく、この映画の結末にもつながる。老夫婦はけっきょく離婚はしない。『東京物語』を見ていた夫が妻に、感謝の気持ちを述べて離婚届に判をつく。妻は夫の言葉に感激し、離婚届を破り捨てる。夫が脱いだズボンや靴下を床に放り投げることを嫌っていた妻が、離婚届をビリビリと床に破き捨てていく。二人は和解し、夫がたたんであった靴下(とズボンもあった気がする)が映り込む。夫が少しだけ変化した瞬間である。観客としてこの結末に安心する一方、正直なところ物足りなさも感じた。もちろん、二時間の映画をあと半時間伸ばして離婚劇!を展開するような映画は見たくはないが、けっきょく離婚せずに落ち着いてしまうのか、と少し落胆した。

 

この映画にはトトという飼い犬が出てくる。そう、ヴィクター・フレミング監督の『オズの魔法使』に出てくる犬の名前と同じだ。『オズの魔法使』で卒論を書いた僕としては、この犬がいつになったら首輪とリーシュを振り払い、走り始めるのだろうと密かにわくわくしていた。このトトはおそらく夫にとって妻の代理ではないだろうか。夫が散歩をする時トトを連れて歩くが、彼が妻と並んで歩くことはない。だから、僕はこの犬が妻の代わりなのだと、夫は妻を離すことなく、いつまでも手綱を引いていたいのだと読んだ。トトが走り去る時、夫婦は離婚するのだろうと。

 

しかし、外で雨が降る映画の最後(嵐になるか?!)において、妻は離婚することをやめる。『東京物語』を見終わり、うたた寝をする夫をベッドで寝かしつける妻の姿を捉え、カメラはゆっくりと二階から一階へと移動する。トトはしっかりと鎖で繋がれ、雨が降る中、外の小屋で休んではいるが少し濡れているようにも見える。トトはどこへも走り去ることなく、エメラルド・シティでドロシーや仲間たちと冒険することもなく、ずっと鎖に繋がれたままである。

 

トトが雨に濡れることは、もしかすると老夫婦の間に起こった問題(水)を代わりに被った状態なのかもしれない。というのも、老父婦の妻が傘をさして雨の中自宅へ戻ってきた時、子供たちが壊した花瓶を嫁が片付けている様子が見え、その後、息子夫婦の間に少しばかり不穏なムードが流れると、夫が水をこぼし、テーブルが水浸しになる。家の中に水が入ることで、家は腐食し、ボロが出始め、最後には崩れ落ちる。この映画のオープニング・クレジットのタイトルのように。水の主題には十分注意できていなかったから、次回見る機会があれば、注目してみたい。

 

そういえば、夫がポイポイ脱いだ服を床に投げる演出って濱口監督の『ハッピーアワー』にもなかったけか。

 

A Random Thought on 3.11

Five years ago today, I was staying at my friends Jon and Nikki's apartment for their wedding. Feeling something weird in my stomach, I woke up in the middle of night just before Nikki walked in to tell me what was happening in Japan at that very moment. TV showed tsunami waves washing away people, houses, trees, and everything else that were in their way. Thousands of lives were taken on that day, the one we now remember by 3.11.

Two years later, I started MA program at Kyoto University to study about what an imaginary home might mean to us human beings because of the very images of houses being shuttered by the tsunami that had kept lingering in my head since 3. 11. For me, home movies/ videos through which we had formed the film representation of home/ homeness since 1895 seemed to be the key to understanding that. Chemically-decayed images on 8mm films, to me, looked as if memories within homes were being washed away by the tsunami (of time). At that time, I thought this research was the best means I got to consider the power of cinema for preserving the value of family and home. However, the result was I got sick of heteronormative values that were actually at the core of home movie/ video medium at least in Japanese cinema history.

Today, I am studying the imagery of family, queer, gender, and sexuality in post-war Japanese cinema as a process of learning about what and who has been excluded/ not been represented under hetronormative oppression. This oppression seems still strongly intact even in contemporary Japanese cinema. As five years passed since 3.11, the traditional values of heterosexual families are again reproduced over and over. What about those excluded from such values? Are we even listening to the voices of the excluded? Although I am not a PhD holder (I hope soon I will), I always think that a job of any academic scholars has to be in some way linked to excavating as well as shedding a light on what's missing from mainstream discussions. We must keep thinking and listening.

Just a random thought on 3.11.

『カルメン故郷に帰る』ロケ地の現在についてーー駅、小学校、カルメンの木

去年の日本映画学会で木下惠介監督の『カルメン故郷に帰る』について口頭発表してから、ずっとこの映画について考えている。

 

カルメン故郷に帰る』が公開されたのは1951年で、撮影は1950年だった。撮影から役66年経った今、ロケ地はどんな感じになっているのか気になったので少し調べてみた。

 

カルメン故郷に帰る』のロケ地は北軽井沢で行われた。地元のHPにある「北軽井沢と映画」では、北軽井沢で撮影された日本映画の代表作として紹介されている。

「北軽井沢映画年表」と題されたリストがあるんだが、日本映画研究でロケ—ション研究する時の良い資料になりそうだ。

 

カルメン故郷に帰る』で「北軽井沢」の文字が出てくるのは、リリー・カルメンとマヤ朱実が東京からやってくる直前の駅のシーンである。

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このシーンが撮影されたのが、旧草軽電鉄北軽井沢駅である。現在は駅舎モニュメントとして保存されている。

http://www.kita-karuizawa.jp/guide/ekisya.html

 

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↑HPから画像をお借りした。こんな感じになっているようだ。

 

次に、『カルメン故郷に帰る』の重要な舞台のひとつである小学校について。ロケが行われた時は、千ヶ滝小学校という名称で、現在は軽井沢中部小学校となっている。軽井沢中部小学校は、1956年に千ヶ滝分校、南小学校、そして軽井沢東小学校の一部を統合して設立されたらしいから、映画撮影当時は千ヶ滝分校が正しいのかもしれない。現在の学校の様子は、なんとなくだが、映画の中で子供たちが失明した田口先生が奏でるオルガンに合わせて歌い踊る場面を思い出さなくもない。

 

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軽井沢中部小学校 | 長野県軽井沢町公式ホームページ

 

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軽井沢中部小学校の校歌を聴くことができる。映画の中で子供たちが歌う《ああわが故郷》に似ているかも?と期待を寄せていたが、残念ながら似てはいなかった。

 

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小学校について 3月7日追記

先日映画の舞台となった千ヶ滝分校は現在軽井沢中部小学校となっていると書いたが、これは誤りだった。千ヶ滝分校は中部小学校に統合されたので、現在の中部小学校がある場所と千ヶ滝分校の所在は異なる。堂脇博の「「カルメン故郷に帰る」の再上映をみる」()によれば、千ヶ滝分校は「スーパー・マーケットに変身、隣はテニスコートになって若者たちがレジャーを楽しんでいる」とある(45)。この記事はもう30年近く前のものなので、おそらく2016年現在姿は違うだろう。

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最後に、カルメンが幼い頃に木の下で牛に蹴られた場所。

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最初に紹介したHPに北軽井沢の観光名所マップがあり、その中に、「カルメン故郷に帰る」の木というのがある。「えっ、まだあるの?」と驚いたんだが、下記サイトによれば、2015年8月時点でも立派に根付いているようだ。直接見てみたい。

area-rokumonsen.com

 

こちらのブログでも詳しくレポされている。

katsudo.exblog.jp

 

木下は信州で映画を作るのが好きだった。彼はなぜ信州を好んだのか。彼の映画に、信州の地域性は表れたのか。ロケーションの考察は日本映画研究においてはまだあまり行われていない分野なので、今後の発展に期待したい。

 

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カルメン故郷に帰る』とまったく関係がないようだが、最近吉幾三の「俺はぜったいプレスリー」を繰り返し聞いている。実は、この曲をもとに山田洋次が原案を書き、満友敬司が監督した『俺は田舎のプレスリー』という映画がある。『カルメン故郷に帰る』のパロディとも言える作品で、とても楽しい。

www.youtube.com

論文掲載のお知らせ

昨年の3月末に提出し、査読再審査などを経て掲載可となった論文がようやく刊行されました。

 

「切り返し編集による男性間の親密性表象--木下惠介『海の花火』をクィア映画として読む--」『人間・環境学』第24巻(京都大学大学院 人間・環境学研究科、2015)

 

おそらくデータで読めるものがアップされると思うので、その詳細が分かればこちらにも載せます。

 

 

「キャンプとゲイの感受性について」Part 2("Camp and the Gay Sensibility" p.41)

今回はPart 1の続きで、「皮肉」(irony)について。

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皮肉はキャンプの主題(subject matter)である。ここでいう皮肉とは、個人あるいはモノと文脈あるいは関連の間における、非常にちぐはぐした対照すべてを指す。もっとも不調和な対比は、男らしさと女らしさの対比である。いくつかのもっとも良い例は、キャンプとしての魅力をその両性具有的性質に負うスターの映画的パーソナリティに見ることができる。たとえば、グレタ・ガルボが男装するすべての映画ーーとりわけQueen Christina (『クリスチナ女王』、1933)ーーをあげることができる。また、男性的/女性的サインの省略をとおしてラディカルに去勢されることでポップ・スターのペルソナが完成される、Performanceにおけるミック・ジャガーなど。


Queen Christina (1933) Official Trailer - Greta Garbo Movie HD

 

別の対比として、若さと老いの対比がある。Sunset Boulevard(『サンセット大通り』、1950)におけるグロリア・スワンソンウィリアム・ホールデンの関係、あるいはHarold and Maude (『ハロルドとモード』、1971)におけるバッド・コートとルース・ゴードンの関係、さらにはMr. Skeffington(1944)やWhatever Happened to Baby Jane?(『何がジェーンに起こったのか?』、1962)におけるベティ・デイヴィスの役柄において、若さとのロマンチックな幻想に取り憑かれ、老いゆく現実を受け入れられない、年老いた利己的な女性が描かれる。

 

頻出度は低いが、他にも不調和な対比がある。神聖/不敬(The Picture of Dorian Gray、1945)、(霊的な)心/肉体(Summer and Smoke, 1961;The Roman Spring of Mrs. Stone, 1961)、ミュージカル(The Counterss of Monte Cristo, 1934)やメロドラマ(Ruby Gentry、1952)に見られる上流階級/労働階級の対比などがある。

 

不調和の認識の核心には、ゲイネスが道徳上逸脱しているという考え方がある。二人の男性あるいは二人の女性が恋に落ちることは、「正常さ」、「自然さ」、「健全さ」から外れており、不適当であると一般的に社会にみなされている。要するに、ゲイネスは道徳上間違いだと考えられている。

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次回はaestheticismのパート。少し長いから二回に分けようかな。

 

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