表象文化論学会ニューズレターREPRE第28号に新刊紹介文が掲載されました。
表象文化論学会ニューズレターREPRE第28号で、小野智恵さんの『ロバート・アルトマン 即興性のパラドクス ニュー・シネマ時代のスタイル』 (勁草書房、2016年3月)について短い紹介文を書かせていただきました。
表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:新刊紹介:『ロバート・アルトマン 即興性のパラドクス ニュー・シネマ時代のスタイル』
ロバート・アルトマン 即興性のパラドクス: ニュー・シネマ時代のスタイル
- 作者: 小野智恵
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2016/03/29
- メディア: 単行本
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アジアフォーカス・福岡国際映画祭に参加してきます。
今週木曜日、9月15日からアジアフォーカス・福岡国際映画祭が博多市内で始まります。関西の映画祭にはこれまで何度か参加してきましたが、福岡まで足を運ぶのは今回が初めてなのでとても楽しみです。
今回は映画学者のミツヨ・ワダ・マルシアーノ先生が映画監督やプロデューサーとのインタビューも企画してくださっているので、それも楽しみ。(美味しいものも食べたい)
音楽学会西日本支部第34回例会で口頭発表を行いました。
先週の9月3日、キャンパスプラザ京都で口頭発表を行いました。
今回は、音楽学会西日本支部第34回例会のラウンドテーブル「日本映画における楽曲の『流用』ーー映画音楽と意味作用』」に非会員として参加してきました。僕の発表題目は、「木下兄弟による既成曲の流用とリリィ・カルメンの表象ーー『カルメン』二部作に見られる映画音楽の効果」で、映画監督・木下惠介と映画音楽家・木下忠司のコラボレーションについて「流用」をテーマに話しました。
正直なところ、僕は音楽に明るくないので発表依頼が来た時はどうしたものかと思いましたが(実際どうにもならなかったかもしれませんが...)、なんとか無事に乗り越えることができました。音楽のコノテーションやジェンダー/セクシュアリティの話はあまり音楽学会ではなされてこなかったそうで、少しは新しい知見を提供できた(?)ようです。今回の発表内容は博論につなげたいので、フィードバックで得た示唆を拡大できるように資料調査を続けていく必要があります。
夏期休暇も残すところ、あと半月。来週の半ばからはアジアフォーカス・福岡国際映画祭へ行ってきます。面白い発見があるといいな。
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今回の発表で参考にした文献
田之頭一和「映画における”歌”の働きーー市川崑、木下惠介、黒澤明の3作品を例にーー」
http://www.osaka-geidai.ac.jp/geidai/research/laboratory/bulletin/pdf/kiyou36/kiyou36_07.pdf
フェミニン・エンディング―音楽・ジェンダー・セクシュアリティ (ウイメンズブックス)
- 作者: スーザンマクレアリ,Susan McClary,女性と音楽研究フォーラム
- 出版社/メーカー: 新水社
- 発売日: 1997/10
- メディア: 単行本
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- 作者: ミシェルシオン,Michel Chion,小沼純一,伊藤制子,北村真澄,二本木かおり
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2002/08/26
- メディア: 単行本
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- 作者: 福中冬子,ジョゼフ・カーマン,キャロリン・アバテ,ジャン= ジャック・ナティエ,ニコラス・クック,ローズ・ローゼンガード・サボトニック,リチャード・タラスキン,リディア・ゲーア,ピーター・キヴィー,スーザン・カウラリー,フィリップ・ブレッド,スザンヌ・キュージック
- 出版社/メーカー: 慶應義塾大学出版会
- 発売日: 2013/04/28
- メディア: 単行本
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アフェクト理論についての文献
ここ10年、20年ほどアフェクト理論(affect theory)に関する議論が盛り上がっており、学際的にもこの理論を援用した論文が多数書かれているようだ。映画研究にもその流れは少しずつ見られる。とは言っても、僕はこの理論についてはまったくの不勉強なので、いくつか文献を探したので紹介する。
この本がアフェクト理論の研究書としてもっとも有名で、この分野の古典的文献となるであろうと聞いた。ゼミの勉強会で読み進めているが、とても難解で困っている。
Parables for the Virtual: Movement, Affect, Sensation (Post-Contemporary Interventions)
- 作者: Brian Massumi,Stanley Eugene Fish,Fredric Jameson
- 出版社/メーカー: Duke Univ Pr (Tx)
- 発売日: 2002/06
- メディア: ペーパーバック
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同じくMassumiによる著書
アフェクト理論に関する論集
- 作者: Melissa Gregg,Gregory J. Seigworth
- 出版社/メーカー: Duke Univ Pr (Tx)
- 発売日: 2010/10/22
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クィア研究においてもアフェクト理論を援用した論考があるようだ。この論集に所収されている。
The Routledge Queer Studies Reader (Routledge Literature Readers)
- 作者: Donald E. Hall,Annamarie Jagose
- 出版社/メーカー: Routledge
- 発売日: 2012/05/31
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日本語では、次の文献が今年初旬に彩流社から出版されている。
英語論文がReconstruction(16.2)に掲載されました。
去年の3月に提出して、査読はどうなったのか、忘れ去られてしまったんじゃないかと心配していた英語論文が無事に査読を通過し、今月掲載されました。
"Queering Film Location and the Byakkotai: Kinoshita Keisuke's Queer Sensibility and Sekishuncho (1959)." Reconstruction. 16.2 (2016).
Reconstruction Vol. 16, No. 2 (2016): Regionalism, Regional Identity and Queer Asian Cinema
正直なところ、もっと英語に磨きをかけなければならなかった論文です。くわえて、博論でクィア映画理論を使いたいと決心して間もない時に書いたものなので、理論的にも分析的にも未熟な点は多いです。博論にする際は、きちんと構成や理論的な部分を強化して加筆・修正していきます。よい経験にはなりました。
Summer Vacation (Hofesh Gadol, dirs. Tal Granit, Sharon Maymon, Israel, 2012)
現在MUBIにアップされているSummer Vacation(Hofesh Gadol、2012)という映画を観た。監督はTal GranitとSharon Maymonで、イスラエル資本の作品。IMDBによれば、2012年から2014年にかけて、イスラエル、アメリカ、ポーランド、フランスの映画祭に出品されている。この二人の監督の共作としては、『ハッピーエンドの選び方』やThe Farewell Partyという作品もある。
Sharon Maymonについて:
http://www.imdb.com/name/nm2321422/bio?ref_=nm_ov_bio_sm
Tal Granitについて:
http://www.imdb.com/name/nm2318954/
本作品は22分ほどの短編なので、複雑な物語構造にはなっていない。主人公のYuvalは家族であるビーチへ旅行に来ている。息子と娘に砂浜に埋められたYuvalへ妻Michaelaとキスし、それを見た子供たちが照れる、という定番の家族描写が展開した後、砂浜に波が押し寄せてきて、Yuvalが溺れそうになる。
そこへ助けにきてくれた男とYuvalの間に短い切り返しが挿入される。この切り返しは何を意味するのか?
助けてもらったお礼にMichaelaはその男と連れの男をディナーへ招待する。その男の名前は、Yiftachで連れの名前はNoam。二人が付き合っ ていることがすぐに分かる。彼らの登場にYuvalは落ち着かない様子を見せる。このシーンでも、YuvalとYiftachの間に切り返しが何度を展開 させつつ、MichaelaやNoamが彼らを見つめるショットが挿入される。ディナーの途中、Yiftachの電話が鳴ると、Yuvalと Michaelaの思い出の曲が流れる。それに合わせて踊るYiftachとMichaelaを見つめるNoamは、携帯電話の液晶に映ったYuvali という名前を見てハッと気づき、その場を去る。
ビーチから少し離れたところに小島があり、その空間において初めてYuvalとYiftachが付き合っていたことが明かされる。観客はここまで待たなく ても勘づくことなのだが、Yuvalの家族がいるビーチという空間から離れている空間だからこそ、YuvalはYiftachに近づくことができる。た だ、この小島は誰からも見ることのできるオープンな空間であるため、自分の気持ちに正直になることはできない。オープンな空間で同性の恋人と一緒に堂々と いるYiftachとの対比がなされる。
実際、屋内という閉じられた空間であればYuvalはYiftachに求愛する。自 身に秘めたYiftachへの気持ちをYuvalは徐々に抑えられなくなるのだが、それはYiftachも同様で、ビーチでMichaelaにサンオイル を塗りながら、妻子を持ったYuvalによく似た男に恋をしていると告白する。その場にYuvalもいて、Yiftachの告白にびくびくしながら、妻の 反応をうかがうシーンの緊張感はなかなか良い。
再び小島へ泳ぎ着く二人。Michaelaに全てを話すとビーチへ泳ぐYiftachにYuvalは水面下でヘッドロックをかける。苦しそうな Yiftachをカメラは映す。このような描写は幾度と観てきた気がするが、ここで描かれる暴力は水面下の空間で二人に許容された、最後の愛撫を描いてい るとも理解できないだろうか。ビーチへ一人で辿りつくYuval。彼の首筋と二の腕には引っかき傷がある。不安そうな顔を浮かべるMichaela(観客 も、YuvalがYiftachを殺してしまったのではないかと不安になる)。Yiftachが少しして、Michaelaの隣に座ることでその不安は解 消されたように思われるが、Yiftachの告白の直後に二人が小島へ去り、そして傷だらけになってYuvalが戻ってくる、という展開の後、Yuval とYiftachの関係にMichaelaが気付いていないわけがない。Michaelaにカメラの焦点が当てられていることからも明らかである。
最後のショットは、夕日を眺める三人を後ろから映したショット。ロングショットで撮影されることによって、ビーチ、海、そして小島という三つの空間が大きく区画化されているだけでなく、パラソルの軸(足?)によって、YiftachとYuvalの間に距離が置かれていることが強調される。同じパラソルの傘の下にいながらも、二人は肩を並べて座ることができない。パラソルがYuvalとMichaelaが座る左側に傾斜しているのは、Yiftachとの関係よりも、Michaelaとの関係を重要視するYuvalの精神状態の表れと読むこともできる。ただし、下の画像からも明らかなように、画面はYiftachの座る右側、パラソルの中心から右側に向かって開放的な構図になっている。内面化する同性愛嫌悪によって自らを異性愛規範に押し込められるYuvalとそのパートナーMichaelaが占める空間の比率は極めて小さく、窮屈に見える。このシーンでは、YuvalとMichaelaの思い出の曲が再び流れるのだが、その曲がYuvalとYiftachの思い出の曲であったことは言うまでもない。
ダイレクト・シネマとシネマ・ヴェリテの違い
今週読んだ論文のなかで、何度も「ダイレクト・シネマ」という言葉が出てきたので、今回は「ダイレクト・シネマ」と「シネマ・ヴェリテ」についておさらいしたい。定義は両方とも『現代映画用語事典』から抜粋引用する。
読んだ論文
NORNES, Abe Mark. "Marking the Body: The Axiographics of the Visible Hidden Camera." DV-Made China: Digital Subjects and Social Transformations After Independent Film. University of Hawaii Press: 2015. 29-56.
▪️ダイレクト・シネマ [direct cinema]
ドキュメンタリーの手法・スタイル。1960年代にアメリカで発達した形式で、50年代末に開発された16ミリ・カメラや同時録音の技術を用い、カメラの前の出来事を事実そのままに伝えようとした。同時期にフランスで興隆した<シネマ・ヴェリテ>と相関関係にあり、ヴェリテ作品の撮影を務めたカナダ人が、カナダ国立映画製作庁による記録映画でこのスタイルを採ったのが始まりとされる。60年になってニューヨークのドキュメンタリー制作集団ドリュー・アソシエイツがこの方法を踏襲し、「大統領予備選挙」(60)など3作を製作、「母の日」(63)のリチャード・リーコックを筆頭に、「ドント・ルック・バック」(67)のD・A・ペネベイカー、「セールスマン」(69)のメイズルス兄弟といった代表的作家を輩出した。<ダイレクト・シネマ>の語句は、メイズルスがシネマ・ヴェリテとの差異を強調し使い始めたもので、対象をダイレクトに伝えるため”壁のハエ”(リーコックの言)となってカメラの存在を消すように務め、ナレーションを排し、ロング・テイクや最小限の編集で、出来事の時間順に構成したのが特徴。ダイレクト・シネマの思想は「チチカット・フォーリーズ」(67)のフレデリック・ワイズマンに継承されるが、70年代になるとダイレクト・シネマでもシネマ・ヴェリテのインタビュー形式や対象に関与する手法を部分的に取り入れだし、<ヴェリテ・スタイル>と呼ぶことが多くなった。これに対し、事実に準じて記録するドキュメンタリー全般を<観察映画/observational cinema>と命名した記述もある。(88-89頁)
▪️シネマ・ヴェリテ [cinema verite](仏)
ドキュメンタリーの手法・スタイル。1950年代末から60年代にかけてフランスで台頭した、手持ちカメラや同時録音によって取材対象の人間に”真実”を語らせる形式。語源はロシアの記録映画作家ジガ・ヴェルトフが自作のニュース映画群に対して用いた”キノ・プラウダ”にあり、そのフランス語の直訳<シネマ・ヴェリテ>(映画・真実)がこの様式の名称となった。カメラや機材の軽量化が進み同時録音が可能となった1950年代末、フランスのジャン・ルーシュが「私は黒人」(59)やアフリカの記録映画などで、インタビュー形式により人間をありのまま生々しく捉え、映画史家ジョルジュ・サドゥールがこれらをシネマ・ヴェリテとして評価、またルーシュや協力者エドガール・モランもこの語を用いたことで、用語として広まった。この狭義での代表作は、ルーシュとモランの共同監督作「ある夏の記録」(61)やクリス・マルケルの「美しき五月」(63)など。ルーシュは<ヌーヴェル・ヴァーグ>の”左岸派”でもあり、撮影対象者にインタビューを行い、その返答反応を捉えることで真実の姿を描き出す方法は、ゴダールが「男性・女性」(66)に取り入れるなど、ヌーヴェル・ヴァーグとも深く関わりを持つとされる。また、ほぼ同時期にカナダ・アメリカで興った<ダイレクト・シネマ>の手法とも相関関係にあり、ダイレクト・シネマに対してシネマ・ヴェリテはカメラ(インタビュアー)が撮影対象に積極的に関わることで真実の姿を引き出そうと試みる点が特徴。近年にマイケル・ムーアのアポなし取材で活用されているという意見もある。インタビュー形式は記録映画で広く用いられ、のちにダイレクト・シネマを含めたドキュメンタリーの形式を示す用語としてシネマ・ヴェリテを使う例も多く見られた。(64頁)