No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

年の瀬恋愛ドラマ『おっさんずラブ』(テレビ朝日、2016年12月30日放送)

2016年12月30日にテレビ朝日で放送された年の瀬恋愛ドラマの第三夜『おっさんずラブ』をTverで観た。関西では放送されなかったので、ネット配信はありがたい。脚本は徳尾浩司、演出は瑠東東一郎。

 

独身サラリーマンの春田創一(田中圭)は、ある日、会社の上司である黒澤武蔵(吉田鋼太郎)のスマホに隠し撮りされた自分の写真を見つけてしまう。そのことがばれてしまった黒澤は、春田に恋心を告げ、弁当を作ったり手編みのマフラーを贈るなどしてアタックする。一方、春田にはルームシェアをしている後輩・長谷川幸也(落合モトキ)がいる。長谷川は料理も家事もできて、さらに寝る前に春田と一緒にゲームまでしてくれる。ロリで巨乳ではないが、巨根と自負する長谷川は、春田が女性に求める理想を体現した存在である。黒澤に告白されたことを長谷川に話した夜、風呂上がりの春田は長谷川に壁ドンされ告白される。春田の苦悩の日々がこうして始まる。

 

簡単なシノプシスと人物構図はテレビ朝日の公式HPを参照してください。

ノンケに恋するゲイの恋愛を民放ドラマがどのように描くのか、放送を知ってからとても気になっていた。結論から言えば、長谷川の存在の大切さに気づく春田と長谷川がキスをする、しかも「ちょっともう一回」と春田が願い、もう一度キスをするという結末は、ハッピーエンドと見なしていいだろう。最近のテレビドラマで言えば、『偽装の夫婦』はゲイ男性をメインキャラクターに置き、社会に潜む同性愛者に対するフォビアを問題化したり、また去年の人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』でもゲイキャラクターを重要な役柄にすることで同様の問題を深刻にさせ過ぎることなく描いていた。他のドラマでもゲイ男性が登場していると聞くが、残念ながら僕は追えていないので、別の機会にリサーチしようと思う。

 

『おっさんずラブ』の構造は、一時間という尺の中でシンプルだがうまく設計されていると思った。春田はノンケだ(と思っている)し、告白以降の黒澤によるアプローチに対して恐怖さえ覚える。ある夜のオフィスでのやり取りは、黒澤の動作を細かく観察する春田のボイスオーバーや、点滅する照明や室内の暗さなどを通して、黒澤の愛情に怯える春田の心情をコミカルに表していた。だが、春田は黒澤からの弁当を食べたり、黒澤が尊敬できる上司であることから、少しずつ黒澤(の愛)への恐怖を克服していく。友人からの助言もあり、春田は人間として黒澤が好きだと告白を断ることになる。

 

続いて、長谷川との関係。長谷川は料理もできて、面倒見も良い。春田の長所も短所もよく見えている。春田が酔っ払って帰宅したある夜、長谷川は春田にキスしようとするが、唇が重なる寸前で春田が目覚め、口論になる。春田は、上司である黒澤に告白された時には露呈されなかったほどのホモフォビアを長谷川にぶつけてしまう。この場面は、黒澤に告白されたのがオフィスという公的空間、長谷川に告白されキスされそうになるのが自宅という私的空間という二つの空間の違いから、なぜ春田のフォビアが爆発するのかを分析することが可能かもしれない。

 

会社におけるホモフォビアが表層化するのも、春田自身のホモフォビアが高いレベルで表現された後であることは重要である。それによって、自分が長谷川や黒澤に対して抱いたホモフォビアにさらされる経験の様相を認識するからだ。その気づきがあってこそ、男性と女性というノーマティヴな恋愛観にとらわれることなく、自分の感情と向き合うことが可能となるのだ。

 

自分を理解してくれている長谷川への感情の深さに気づき、春田は長谷川に浴びせた暴言を後悔する。自宅からいなくなった長谷川を探して街中を走り回る春田の姿を映したショットの連続は、想い人を必死に求める恋愛映画の常套句的な演出であった。そのような演出を批判するつもりはない。むしろ、結末以降の二人の関係がどうなるかは分からないけれども、二人の関係がドラマの時空間内で改善され、先輩と後輩、ルームメイト、友達同士という関係性とは別の形へ向かう可能性を提示している点は評価したいと思った。

 

もちろん、気になる点がこのドラマにないわけではない。たとえば、料理も家事もできる長谷川が従来女性ジェンダーに求められる資質をそなえている一方で、女性である同僚の湊あすか(宮澤佐江)が汚部屋に住んでおり、料理もできない設定になっている。もし、彼女が長谷川同等に料理も家事もできた場合、春田は長谷川を想って夜の街を走り回っただろうか。

 

ゲイの視聴者としては、田中圭の上半身裸姿が眼福だったという点をのぞいても、あまり嫌になる演出はなかった。もちろん、それは人それぞれ意見が異なるので別の観点からの批判もあるだろう。だが、コメディという枠組みを用いることで達成できた人間同士の描写という観点から考えたとき、面白い挑戦はしたと思う。

 

 

『おっさんずラブ』には関係ないが、演出の瑠東東一郎さんのインタビューを見つけたので載せておく。『海賊戦隊ゴーカイジャー』のOPとかも作っているらしい。

ヨーロッパ企画 永野宗典の対談野郎 vol.13 ゲスト:瑠東東一郎 | THEATER View FUKUOKA

 

瀬尾さんについてはウィキペディアにまとめられている。舞台の脚本を多く手がけている脚本家のようだ。

徳尾浩司 - Wikipedia

『ONE PIECE FILM GOLD』(宮本宏彰、東映、2016年)

年始映画一本目は人気漫画『ONE PIECE』を原作とした映画『ONE PIECE FILM GOLD』を観た。去年映画館へ観に行くかどうか悩み、結局行かずに上映終了になってしまった作品だった。去年は確かドラえもんの映画を年始めに観たから、今年もアニメにしようと思い、リリースされたばかりのDVDを借りてきた。

 

舞台は巨大なエンターテインメントシティと呼ばれる「グラン・テゾーロ」。世界政府から中立国家として見なされており、海軍も海賊も自由にカジノやアトラクションを満喫できるという空間。そこへルフィ率いる麦わらの一味がやってきて、カジノで大もうけを目指す。お察しの通り、後先考えずに行動するルフィの楽観的な思考によって、一味は3億2000万ベリーの借金を背負う。ルフィが賭に負けるのは能力者の力によってというのが明らかになり、ゾロが怒ってボスであるテゾーロに挑むが、テゾーロの能力によって捕まってしまう。ゾロを助けるために一味がテゾーロの金庫に侵入しようと試みるシークエンスが物語の一つの見せ場になっている。

 

満島ひかりが声優を務めたカリーナという女泥棒がじつはナミの知り合いだったり、革命軍のサボとコアラ、あとロブ・リッチが出てきたり、興味深い展開がちりばめられている。しかし、いかんせん脚本がぐだぐだなので、キャラクターディベロップメントも不完全であり、またサボとロブ・リッチの戦いも中途半端に描かれており、もっと観たい!と思う気持ちを見事に裏切られる。物語は、ルフィがドフラミンゴを倒したあとという設定なので、ギア・フォースを使ってテゾーロを倒させたい一心でドフラミンゴ篇のいいとこ取りだけしたような側面が強い。

 

ONE PIECE』の連載が始まった頃から漫画を読み、アニメも観ている読者/観客の一人にとって、本作は物足りない。麦わらの一味とテゾーロの一味の戦い自体に迫力も胸アツな展開もなく非常に残念だった。『ミッション・インポッシブル』のような潜入活劇を目指したのかもしれないが、成功していない。その理由は作品の長さに関係しており、単純に詰め込みすぎで消化できていない点にあるだろう。

 

最後に、本作に入り込めなかった要因の一つは賭けに負けた一味の態度にあったかもしれない。たしかに運気を吸い取る能力者の力によって負けるという展開なのだけれど、だからと言って、3億2000万ベリーの債務を思い切り暴力で踏み倒そうって展開に僕はついていけなかった...

 

 

『バイオハザード:ザ・ファイナル』(ポール・W・S・アンダーソン、2016年)

クリスマス週末の三連休に、ポール・W・S・アンダーソン監督の『バイオハザード:ザ・ファイナル』を観てきた。本作は、カプコンのテレビゲームを原作としたシリーズの最終作だ。中学生の頃からテレビゲームを毎作品プレイしているし、映画化作品もすべて観てきた。本作の前に5本あって、1作目と3作目は楽しく観た記憶がある。

 

来年1月26日にテレビゲームの最新作が発売されることもあり、本作の公開も首を長くして待っていた。その甲斐あってか、バイオファンとして期待していた以上に本作を楽しめたし、面白かった。2時間くらいの長さで、冒頭からラストまで緊張感が保たれていて、見終わった頃には体がこわばってしょうがなかったんだが、それくらいスクリーンから目が離せない。なにしろショットとショットの切り返しも早いし、テンポ良く画面が切り替わるので、何が起こっているのかを見逃さないためにずっと集中していないといけない。また、「あーくるくる、絶対なんか出てくる」というところで、確実に効果音を利用してびびらせにくる。「何かが起こる」ことを知らせる設計は、ショット・サイズの変化やキャメラの移動(パンやトラッキング)で効率よくできあがっていて、期待を裏切らない。それもあって、緊張に続く緊張が重なった。

 

ネタバレになっちゃうので、あまり結末については書けない。ただ、アリスとレッドクイーン、そしてもう一人の女性のつながりに重要性を置く点で、本作はとても興味深かった。クィアな分析もできるんじゃないかなと思う。そこらへんは勉強が必要だ。

 

(アクション)ホラー映画は映画と情動のトピックを扱うためにはちょうど良いジャンルだと思うんだが、いかんせんホラー映画を一人で観ることが苦手なので、大勢で観るのがちょうどいい。近いうちに『ドント・プリーズ』を観てみたい。

 

Michael DeAngelis, "Authorship and New Queer Cinema: The Case of Todd Haynes" 言及作品まとめ

副指導官による今週の映画学ゼミはニュー・クィア・シネマについて。今回のリーディング課題の一つに、Michael DeAngelisの"Authorship and New Queer Cinema: The Case of Todd Haynes"がある。本論文では、『キャロル』で話題になったトッド・ヘインズ監督の作家性がニュー・クィア・シネマの文脈で考察されている。本論文で言及されている作品群を以下に挙げておく。

 

Far from Heaven

 

Dottie Gets Spanked

 

 

 

 

Velvet Goldmine

 

ダグラス・サークAll That Heaven Allows (1955)との比較

 

本論文で言及されるJustin Wyattによる監督へのインタビューは以下のURL先でダウンロードできる。Justin Wyatte and Todd Haynes, "Cinematic/ Sexual Transgression: An Interview with Todd Haynes."

https://comm350queercinema.files.wordpress.com/2010/11/todd-haynes-interview-cinematic-and-sexual-transgression.pdf

 

木下惠介に関して書かれた英語ウェブサイト

木下惠介は彼と同時代の映画作家たちと比べると、海外において同等に注目されているとは言い難い。だが、2012年の生誕100周年以降、日本語以外のメディアでもときどき取り上げられている。今回は英語で見つかった木下惠介関連の記事をメモ代わりにアップしていく。

 

まずは木下惠介生誕100年記念を祝う松竹のウェブサイト。木下作品の英語表記で悩むことがしばしばあるんだが、今後はこちらを参考にしたい。

去年の終わりだったか、木下の初期作品を集めたDVDBOXがCriterionから出ている。英語字幕付きで観られる木下作品は少ないため、貴重な映像資料になるだろう。

2012年11月にリンカーン・センターで特集上映された時のウェブサイト

ハリウッド・レポーターによる『はじまりのみち』公開時のレビュー

木下恵介記念館を英語で紹介した記事

 

RottenTomatoesにある木下惠介のページ

MUBIにもアップされていたことがあると知って、見逃していたことにショック。

他にもいろいろとあると思うが、今回はこのへんで。また見つけたら追記していく。

Amazonプライムで観られるゲイを扱った映画

スマホタブレット、テレビで映画やテレビ番組を観られるHuluやNetflixといった月額有料動画サイト/アプリがある。いろいろと登録してきたが、今はAmazonプライムだけアカウントを持っている。Huluだと木下惠介の作品をほとんど観られると聞いたので、登録しようか検討しているところだ(The Walking Deadのシーズン7も観られるし!)。

 

今回はAmazonプライムで観られるゲイを扱った映画作品を20本紹介したい。字幕がついていないのもあるが、カミングアウト、映画スターのゴシップ、ドラッグ、レイプ、エイズ、宗教、家族、人種、民族、差別、ソーシャルメディアなどの問題を扱う作品であり、それぞれに注目すべき側面を持つ。演出や演技、脚本の質については苦しい面もあるが、どこをどう改善したらいいのかなど考えるのも楽しみの一つとしてぜひ観てもらいたい。

 

ここに挙げているのは、Amazonプライムで観られる作品のうちほんの少しだ。一つの作品を選ぶと、他にも作品を挙げてくれるので関心を引く作品をどんどん探してみてはどうだろう。

 

木下惠介の誕生日

12月5日は、僕が研究対象にしている映画監督木下惠介の誕生日だ。1912年生まれなので、もし今も生きていたら104歳になっていた。ちなみに弟の忠司さんは今年で100歳。100歳記念パーティに参加したとき初めてお会いしたのだけど、忠司さんは今もパワフルだ。

 

木下惠介記念館に行くと、惠介さんが残した言葉が記された垂れ幕が飾ってある。展示によって垂れ幕の数が少なくなっていたりするのだけど、僕が見かけてぐっときたものが一つある。メモを取り忘れたのできちんと覚えていないのだけど、自分が死んだ後に自分のことを書いてほしくない、みたいな内容だったと思う。恵介さんの助監督だった横堀さんの『木下恵介の遺言』(朝日新聞社、2000年)には次のように書いてある。

 

 木下さんは撮影現場でぼくを怒鳴りまくっていたころ、言ったことがある。

 「誰かが死んじゃったあと、なんだかんだとその人をわけ知り顔に書く奴は、みんな根性が卑しいんだ。ボクは、小津さんや渋谷実さんや田中絹代さんのこと書いたもんなんて、絶対読みたくないし読んだことさえない。お前、そんなもの決して書くんじゃありませんよ」

 ぼくはいま師の遺志に反したことをしてしまった。(217)

 

垂れ幕に書いてあったのは、「誰かが死んじゃったあと〜卑しんだ」の部分だったと思う。僕自身は惠介さんにお会いしたこともないし、彼について知る術は彼が書き残したもの、インタビュー(映像)、あるいは他人による伝記くらいしかない。あとは彼の作品だけ。僕の博士論文は惠介さんの人となりを論じるものではないので、主に作品だけを見つめて書いている。それが成功するか、失敗するかは正直分からない(できれば成功してもらいたい)。ただ、惠介さんに怒られてもかまわないから、映画作家としての彼の本質をさらに拡大して論じて、多くの人に彼の作品の魅力を伝えられれば嬉しい。慎重に、けれど大胆に、書き続けたい。

 

博論が終わったら、惠介さんのお墓参りに行くことをずっと前から決めているから、近い将来実現したい。