ホーム・ムーヴィーを定義するのは難しい
7月の学会発表へ向けて、今日はホーム・ムーヴィーの定義について調べ直していた。
そもそも、英語でhome movieとかかれる、この映画カテゴリーは日本語にするのも一苦労だ。文献によって、「ホームムービー」、「ホーム・ムービー」、「ホーム・ムーヴィ」と表記が異なる。2015年3月に発売された『東京人』の「記録フィルムの東京」特集でも「ホームムービー」と「ホーム・ムービー」の二つに分かれていた。先行研究などで定義を調べて使う時、表記を同じにするとややこしくなくなると思うのだが、私は論文を書く時は「ホーム・ムーヴィー」といつも書くことにしている。
さて、ホーム・ムーヴィーを定義することは簡単ではない。基本として、ホーム・ムーヴィーは一般的に「撮影者が家族を対象に撮影した小型(もしくはアマチュア)映画」と呼ぶことができるだろう。「ホームムービーの日」という一年に一回開催されるアマチュア映画の国際的なイベントでも、参加者それぞれが思うホーム・ムーヴィーがあることをこれまでの経験で実感している。
たとえばどういった対象を撮影しているのか、どういった日に撮影しているのかによって、ホーム・ムーヴィーの印象はことなってくる。また、戦後に開催された「アマチュア映画コンクール」のような出品会にも「家庭映画」としてホーム・ムーヴィーが上映されたと記録にあるが、ホーム・ムーヴィーにおそらく映っていない人々、つまり撮影者の家族や親しい人たち以外とホーム・ムーヴィーを共有することで、ホーム・ムーヴィーが私的なものであり続けるのか、それとも公的なものとなるのか。異なる視点に立てば、様々な解釈が生まれてくる映画カテゴリー。それがホーム・ムーヴィーである。
もちろん、フィルム・ノワールやメロドラマのように映画学者が長年に渉って議論を重ねることで「ジャンル横断的」な存在として扱われる映画ジャンルもある。ホーム・ムーヴィーが社会に注目され、議論が重ねられることで、より多様な定義付けが行なわれることに期待したい。
ホーム・ムーヴィーの定義については、那田尚史さんによる「ホーム・ムーヴィ」の記述を参考にした↓
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