ゼミ用メモ:アニメーション
今週のゼミで、M2が修論中間発表としてアニメーションについて発表するので、今回はそのためのメモ。
ウィンザー・マッケイから二本。
「恐竜ガーティー」(1914)
Gertie the Dinosaur (1914) - World's 1st Keyframe Animation Cartoon - Winsor McCay
「虫のサーカス」(1921)
1921 - Bug Vaudeville - Dreams of the Rarebit Fiend - Winsor McCay
ポパイシリーズから二本。
「船乗りシンドバッドの冒険」(1936)
Popeye - Popeye the Sailor meets Sindbad the Sailor (Full length video)
「ポパイの魔法のランプ」(1939)
Popeye - Aladdin and his wonderful lamp (Full length video)
アニメーション研究のための論文と書籍のデータベース
アニメーションは大好きなんだが、なかなか勉強するにまで至っていなかったから、何か面白い文献を読みたい。手元にあるのはこの三冊。
ミッキーはなぜ口笛を吹くのか: アニメーションの表現史 (新潮選書)
- 作者: 細馬宏通
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/10/25
- メディア: 単行本
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『逢びき』(Brief Encounter, David Lean, 1945)
今週のゼミ発表はDavid Leanの『逢びき』が議論の対象となるので、予習のため情報収集をしておく。原作はノエル・カワード(Noel Coward)の『静物画』。
ローラを捉えたキャメラが次第に傾いていくところは毎回ぐっとくる。
『逢びき』の冒頭と最後でアレックがローラの肩に触れる演出が有名だが、トッド・ヘインズの『キャロル』でもキャロルがテレーズの肩にそっと手を置くという演出が使われている。ヘインズ自身も、この演出が『逢びき』からの引用だったとインタビューで答えていたと思う。
映画学者のキャサリン・グラントによって比較検証が行われている。
THERESE & CAROL & ALEC & LAURA (A Brief Encounter) on Vimeo
BFI Film Classicsから書籍が出版されている。けっこうなお値段。図書館の文献取り寄せサービスで依頼したので、どんな内容か楽しみだ。
Brief Encounter (Bfi Film Classics)
- 作者: Richard Dyer
- 出版社/メーカー: British Film Inst
- 発売日: 1993/12/27
- メディア: ペーパーバック
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映画学では、『逢びき』のホモセクシャル表象についてしばしば言及されてきた。先に挙げたBFIの本でも議論されている可能性が高い。
↓この本も面白いかも。
Visual Authorship: Creativity And Intentionality In Media (North Lights)
- 作者: Torben Grodal,Bente Larson,Iben Thorving Laursen
- 出版社/メーカー: Museum Tusculanum
- 発売日: 2004/12
- メディア: ペーパーバック
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論文
Andy Medhurst, "That special thrill: Brief Encounter, homosexuality and authorship." Screen (1991) 32 (2): 197-208
紙屋牧子「『ハナコサン』(一九四三年、マキノ正博)の両義性:「明朗」な戦争プロパガンダ映画」
今週の映画学授業ではマキノ正博の『ハナコサン』(1943年2月25日公開、東宝)について論じられる予定で、リーディング課題の一つに紙屋牧子さんの論文「『ハナコサン』(一九四三年、マキノ正博)の両義性:「明朗」な戦争プロパガンダ映画」が挙げられている。
ハナ子さん(1943年)- マキノ正博 / Hanako-san - Masahiro Makino
『ハナコサン』は「戦時下の国策に抗う底抜けに明るいミュージカルという評価が広く流通している」として(109)、紙屋はこれまでの映画研究における『ハナコサン』への言説のまとめから始めている。『ハナコサン』の製作背景には、「ハナ子さん問題」と呼ばれる内務省の検閲によるフィルムの削除(1752フィート、約20分)がある。マキノの自伝によれば、映画のラストシーンにおいて轟由起子が泣く演出が削除されており、その原因が検閲官によって削除された。この検閲の事実は、今ではある意味神話化されている傾向も見受けられるが、紙屋の論文は、轟由起子が泣くシーンが削除された理由を再考察するものである。
本論文の目的:「『ハナコサン』を同時代の政治的・歴史的コンテクストの中に差し戻し、同作品の神話化の過程で忘却(あるいは無視)された『優れた』戦争プロパガンダ性を炙り出し、更にはその戦争プロパガンダ性が、作り手(監督・会社)や国家の思惑の範囲を超えた次元においてさえ成立していることを明らかにすることである。」(109)
論文の構成
1 戦時下の<明朗>化
2 身体の規律化/機械化
2-1 歌うこと
2-2 戦時下の体育イベント/集団体操/舞踏
3 『ハナコサン』とアメリカニズム
映画雑誌や新聞記事などに表象された「明朗」なハナ子さんのイメージ、「明朗」という言葉がどのような文脈に使用されたか、規律化/機械化された身体表象としてのラジオ体操、『ハナコサン』に見る舞踏とバズビー・バークレーの振り付けとの比較など、論理的に組み立てられていて、とても読みやすい。
結論部分:
『ハナコサン』が明朗さを追求した中で軽佻浮薄さ(という「アメリカニズム」)へ踏み込んでしまった部分が検閲で削除された。それは二〇分にも及ぶ長さであったが、観客は「明るい映画を久しぶりにみたと大変喜んでいた」といい、映画はヒットし主題歌「お使いは自転車に乗って」は流行歌となった。この事実は、同時代の観客にさえ、『ハナコサン』のプロパガンダ性が、少なくとも強く意識されることはなかったこと、そして、マキノの演出が検閲方針の急激な変化によりそれと齟齬をきたす部分もあったとはいえ、基本的には国策の、そしてそれと相互に強化し合っていた表象の大きな枠組みに沿うものであり、それでいながら同時に観客の期待に応える娯楽作品としても見事に成立していることを示唆している。その為『ハナコサン』は、公開当時のアクチュアリティを無視した場合は、戦時下の国策に抗う明るいミュージカルという評価を得る映画となったのである。この両義性こそが、『ハナコサン』の優れた戦争プロパガンダ性を示してもいる。プロパガンダは巧妙であるほど、その真意を露わにすることはないのだから。だが、この巧妙さは、マキノの職人気質と手腕が結果として生み出してしまった個人の意図には還元できないものであり、それはマキノ個人はおろか国家の思惑さえも超えた次元で、戦時下の表象のメカニズムと観客の欲望との奇怪なる接合を映画テクストのうちに実現しているのである。(116)
1920年代~1930年代に製作されたAnimated American Shorts(アメリカのアニメーション作品)
映画研究書メモ
近年は映画研究書ラッシュで、僕が所属しているゼミの先輩方の単著も刊行されている。直近で読もうと思っているものをメモがわりに列挙しておく。
ロバート・アルトマン 即興性のパラドクス: ニュー・シネマ時代のスタイル
- 作者: 小野智恵
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2016/03/29
- メディア: 単行本
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第11回日本映画学会プロシーディングス
論文の締切続きのためブログの更新ができていませんが、昨年12月に第11会日本映画学会で行った口頭発表のプロシーディングスが発刊されました。
http://jscs.h.kyoto-u.ac.jp/proceedings-zenkoku-11.pdf
僕の発表は、「『カルメン故郷に帰る』と『カルメン純情す』におけるカルメン像の変化--音楽面からの再評価を目指して」(23~33頁)です。