橋口亮輔『僕は前からここにいた』
久しぶりに橋口亮輔監督のエッセイ集『僕は前からここにいた』を手に取った。博論で木下惠介について書いたとき、橋口監督のエッセイ集には何度も目を通したのだけれど、今回は大きく心を揺さぶられた箇所があったので引用しておきたい。
「大学時代、僕は8ミリ映画の中で、自分に実際にあった出来事を半ドキュメンタリーの形をとった作品に撮っていた。
テレビの少年のように、心の中の湖面の水を波立たせないように虚ろな生活を送りながら、生きている実感を感じたいという欲求が首をもたげ始めた為だ。
虚ろに過ぎた時間を、もう一度過去を再現し画面の中で生き直すことで埋めようとしたのだ。しかし、現実に生きる僕の時間とは別に、振子を止めてしまった時間が内にあることも分かっていた。
ゲイである大切な部分を放ったらかしておいては、いつか二つの時間に自分が引き裂かれてしまうと考えるようになる。
そして、眠らせておいた自分への為に、ドラマという形で映画を撮り始める。
"今まで放っておいて御免。君に肉体をあげるからね。"
そんな罪ほろぼしである。
一つの僕の決心は、存在しなかった少年時代から、百万馬力の少年になって生き直すことだ。僕の視線は過去へ過去へと進んでいるように見えながら、実は、未来を獲得する事なのだ。
そして、いつか、過去が同時に懐かしい未来であるような瞬間を迎えることができると信じている。」(124-125)
なぜだか分からないが、この箇所を読んだとき、涙が出そうなくらい震えた。その体験をもっと鮮明に言語化したい。