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No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

映画の色について:木下恵介『カルメン故郷に帰る』

富士フイルムが国産カラーフィルムの発明に勤しんでいたころ、日本映画監督協会は押し寄せる外国カラー映画の情勢に立ち向かう術を考える必要にせめられていた。そこで、富士フイルムから国産カラー映画の製作を持ちかけられた時、当時理事であった小津安二郎を中心に検討が進められた。その結果、製作会社には松竹が選出され、監督脚本に木下恵介が指名された。

 

松竹は1931年に公開された日本初トーキー映画『マダムと女房』(五所平之助)を製作していたこともあり、選出に応じた。また、木下恵介が選ばれた理由は、下積み時代に撮影に関する知識を十分に習得しており、キャメラマンであった楠田浩之との連携が抜群であったからである。松竹が木下の才能と実績を認めていたという前提があったことは言うまでもない。こうして、「日本最初の総天然色映画」を生み出すチームが組まれた。

 

総天然色映画は白黒と比べて莫大な費用がかかる。それを超える興行収入を得るために、木下はまず、観客受けがよく、大ヒットする可能性が高い山岳アクションを撮ろうと考えた。『アルプスの死闘』という脚本を仕上げて、木下は夏の上高地へロケハンに向かった。

 

しかし、ロケハンで木下が学んだことは、上高地の季節の移り変わりは想像以上に急であり、樹々の色と姿があっという間に変化してしまうという現実であった。作品全体を同じ色調で統一したいと考えていた木下にとって、この季節の移り変わりの早さは予想外であったが、彼はすぐに代わりの脚本を一週間で書き上げた。その新しい脚本が『カルメン故郷に帰る』だ。

 

高峰秀子をはじめとする配役が決まったあと、撮影楠田浩之、照明豊島良三ら木下組のスタッフと、富士フイルムの専門技術者の間で何度も打ち合わせが繰り返された。キャメラ・テストで最初に彼らが遭遇した問題が、俳優のメークアップであった。それまでの白黒映画用の化粧品では、顔の肌色がきれいに写らなかったのだ。

 

アメリカ映画のメークアップに精通している可能性が大きいマックス・ファクター日本支社を訪ねると、もともとハリウッドで女優経験をもっていた極東支配人ミルドレッド・M・ウエストの協力を得て、大船撮影所でのメークアップ指導が開始されることとなった。

 

まず、大船撮影所に入社したばかりであった岸恵子をモデルに、グリースペイントや、それを塗ったあとはたいたパウダーを払うナイロンブラシなど、日本側の映画製作スタッフが初めて目にする材料が使われた。ウエスト女史によって教えられた基本をもとに、日本色彩研究所で、主な出演者たちの顔の肌の明度、色相、彩度が計算された。

 

それらのデータを使って、新たにキャメラ・テストを行うと、もともと肌が黄色い日本人の顔はカラー映画には不向きであったが、高峰秀子の日本人離れした顔のきれいさが判明し、必要なグリースペイントがわかった。ここで面白いのは、出演者一人一人によって使用されていたグリースペイントが異なったことだ。

 

日本人離れした(幸いカラー映画にも最高の)顔をもった高峰秀子を起用したことが、『カルメン故郷に帰る』の成功の一因であることはよく言われるが、この映画の成功のうらには、やはり木下組と富士フイルムによる入念なフィルム感度のチェックがあったことを見逃してはならない。

 

技術的な話は私自身あまり詳しくないが、最初のフジカラー・フィルムのASA(American Standards Association)感度は6度であった。当時の映画用白黒フィルムは24~25度の感度であったから、写真にするためにはその4倍の明るさが必要であった。

 

カラー・フィルムでのロケの時間は自然光の豊かな午前8時から午後1時までの間に行われた。太陽光を反射させて照明するレフ板は、新聞紙大の白黒用よりも大きく作られ、枚数も増え、びっしりと俳優に向けられた。それらのレフ板を向けられた俳優は、テストと本番のとき以外は眩しすぎて目を開けていられず、本番が終わったあとも、視力を取り戻すまでにしばらく時間がかかったという有名な話が残っている。

 

また、カラー用のグリースペイントは皮膚の毛穴までぴったり塞いでしまうので、レフ板からの凄まじい太陽光の反射と、メークアップによる窒息感で、主演の高峰秀子が何度も気を失いそうになったという話もある。日本初の総天然色映画はまさに命がけで製作された。

 

ご存知の方も多いと思うが、『カルメン故郷に帰る』にはカラー版と白黒版がある。カラーに必要な照明が得られる午前8時から午後1時までの撮影後、カラー版が失敗した時のことも考えて、白黒版の撮影も行われていた。富士フイルムにとって、国産のカラーフィルムによって日本独自の総天然色映画の道を切り開きたいという志があった一方、上映することもできないほどの失敗を恐れていた側面もある。しかし、松竹も単なる失敗に終わらせることもできないため、白黒版が同時に撮影されたのだ。

 

面白いのは、カラー版の撮影が終わり、モノクロフィルムに切り替えられた瞬間、俳優たちの顔には安堵が見えたという。木下惠介自身も、「白黒がお清書で、カラーが下書きみたいなものね」と答えているという。私は白黒版もカラー版も好きだが、白黒版だけにあるシーンもあるので、白黒版を未見の方はぜひご覧頂きたい。

 

参考文献はこちら。

新編天才監督木下惠介

新編天才監督木下惠介