No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

いつか彼女なりの綴り方で─『カランコエの花』(脚本・監督・編集:中川駿、2016年、39分)

 6月27日、明治大学駿河台キャンパスで開催された『カランコエの花』上映会+トークイベントに参加してきた。 本作は7月14日から20日までの一週間限定ロードショーが決まっている。

 

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 『カランコエの花』は2017年度の東京レインボーリール映画祭でグランプリを受賞した作品で、同時期に公開された『春みたいだ』と同じくらい気になっていた。オンラインでの上映機会のない作品だったため、上映会を無料で開催した明治大学情報コミュニケーション学部ジェンダーセンターと一般社団法人fairの取り組みに感謝している。当日は前の方の席に座ったから会場の全体像は掴めなかったが、来客数は多かった。

 


映画『カランコエの花』予告編

 

 『カランコエの花』の主人公は高校二年生の月乃。映画は彼女が母親からカランコエの花を想起させる紅色のシュシュをポニーテールに付けてもらう朝の場面から始まる。吹奏楽部で朝練をし、教室ではクラスメートと笑いあう。いつもと同じ学校での一日が始まるはずであったが、その日、唐突に保健教員からLGBTに関するざっくりとした授業が行われる。それまで教室を満たしていた生徒たちの笑い声は一切なくなり、彼/女たちはLGBTと大きく書かれた黒板を見つめ、「異性だろうと同性だろうと、好きになったらしょうがない。恋に性別は関係ないと、私は思います」と言う教員の言葉にはやや無邪気さが残る。生徒たちの静けさは、LGBTに関する授業が自分たちのクラスだけで行われた事実によって破られる。「自分たちの中にLGBTがいるんじゃないか?」男子生徒によるLGBT捜しをきっかけにクラスには疑念の波紋が広がり、彼/女たちの心は様々な感情の間を揺れ動く。

 

 本作で印象深い場面の一つに、月乃が貸していた英語のノートを桜に返してもらう場面がある。カラフルにかわいらしいフォントで英語ノートの表紙を飾っているが、月乃は"English"を"Engrish"と書いてしまっている。それを桜は優しく月乃に伝えると、二人は笑う。「頑張ったのになぁ」と残念そうにする月乃を桜は笑顔で見つめる。"English"の「L」を「R」に間違えてしまう、少しおっちょこちょいな面をもつ月乃は、映画の後半、ある人を守ろうとするがうまくいかない。そのもどかしさが本作のキャッチコピーに表れている──「ただ、あなたを守りたかった」。月乃が教室でシュシュを外すショットにおいて、このキャッチコピーは彼女の感情を代弁することになるのだが、彼女は何を間違えたのか。また、誰が彼女の行為が間違っていたと言ってよいのか。本作はその答えを観客に考えさせるきっかけを与えるだろう。月乃の行為は「ただ、あなたを守」ろうと頑張った結果であり、同時にその結果は英語の綴りのように少しだけ正解から離れていたのかもしれない。いつか彼女なりの綴り方で、月乃が「あなた」と向き合えることが出来たら、とそんな未来を僕は期待したい。

 

 中川監督の作品を観たのは今回が初めてだったが、吹奏楽部の朝練の様子とオープニングクレジットをサウンドブリッジさせながらクロスカットさせる冒頭から編集の巧妙さが印象深かった。また撮影方法のリズム感が良く、フィクスでテンポ良いカットがあれば、長回しで場面の空気の重さを見せたかと思いきや、主人公にうまく言葉を伝えられずバスの中で涙を堪える少女の感情をバスの振動で上下左右に揺さぶられる手持ちカメラのブレを通して表現するなど、画面の作り方が観客を飽きさせない。ストーリーテリングの方法もうまく考えられており、ラストシーンからエンドロール、そしてその後に続くワンシーンまでの流れは圧巻だった。悪く言えば「よく狙って作られている」という言葉がふさわしいのかもしれないが、あの思い切りの良さがなければ本作が有する映像のパワフルさは達成できていなかっただろう。

 

 今回の上映会は教育現場におけるLGBTのトピックを扱った本作を材料に「周囲にできること」を考える趣旨があった。トークに参加した明治大学の田中洋美氏が教員は知を共有する立場として常に勉強しなければならないと何度も言っていたのが、自分の中ではとても印象深かった。クィア・LGBTQ映画の研究をしている立場としては僕も同じで、映画とジェンダーセクシュアリティの最新の議論をインプットし続ける努力を怠ってはならないと改めて思った上映会でもあった。