No Rainbows, No Ruby Slippers, But a Pen

本ブログでは研究関連で読んでいる書籍、(新作)映画作品の紹介、日々の考察を中心に共有していきます。また、漫画、アニメ、小説、写真などについても感想などを述べていけたらと思っています。

2021.02.12

 今日は映画を2本観た。まず1本目は、坂元裕二の脚本による恋愛映画『花束みたいな恋をした』(土井裕泰、2021年)。ツイッターでも色んな人が観終わったようだし、学生からも少し感想を聞いていたので、僕もようやく重い腰を上げて観てきた。端的に言ってとてもつまらない映画ではあったけれど、4年間ほどの男女の恋愛関係がどのように互いにライフステージによって変化していくのかを2010年代後半という近過去を舞台に展開させていくのは興味深かった。聞いたことのある漫画や小説、音楽や舞台の名前がたくさん出てくるので、それらを楽しんだことがある観客たちは共感できる面もあるのかもしれない。なぜわざわざ東京を舞台にする必要があったのか分からないほどに東京という空間の利点が生かされてはいなかったけれど、恐らくはカラオケ屋さんに見えないカラオケ屋さんであったり、主人公たちが楽しみにしている「名前を出したいだけの」演劇をたくさんの場所でやっていて、男女が夜遅くまで語り合える居酒屋やファミレスがある「箱」としての東京としては機能していたのだろう。

 


映画『花束みたいな恋をした』140秒予告【2021年1月29日(金)公開】

 この作品は一回観ただけでしばらくはお腹いっぱいなのだが、一点だけとても残念だったのが猫の扱い方だ。同棲を始めたカップルが大晦日の夜に黒猫を拾い、マロンと名付ける。恐らくは彼女たちが読んでいる物語の中に「マロン」という猫が登場するんだろうけど、そんなことはどうでもよくて、この猫の扱い方がただただ小道具として使われるだけで終始ひどい。その割には、エンドロールで猫のイメージをやたら使ったりするし、最後には別れた二人のどちらが猫を引き取るかをじゃんけんで決める始末。悪辣だ。猫よ、幸せであれ。

 もう1本は西川美和の『すばらしき世界』。西川美和の作品はずっと追っていて、今回もとても楽しみにしていた。いつから公開なのかきちんと調べておらず、ふと近所の映画館のスケジュールを見たら昨日から始まっていたので急いで観に行った。西川作品が好きというフィルターがかかっているとはいえ、本作にみる様々な「時間」の表現には唸らされた。殺人を犯した三上正夫が13年の刑期を終えて再出発する。彼の自立を困難にする日本社会の不条理や人々の視線を感じながら、三上は失敗しつつも、自立の道を模索していく。


映画『すばらしき世界』本予告 2021年2月11日(木・祝)公開

 映画は時間芸術であるとよく言われるが、本作は映画が表現する時間性を丁寧に描いていく。それは例えば、三上が刑務所で過ごした13年の間に東京へ屹立したスカイツリー、「身分帳」に記された三上の経歴や刑務所での素行、離婚した元妻が再婚相手との間にもうけた小学三年生の女の子のように、建築物、文字、人物といった目に見える変化。特に女の子が小学三年生であると知った時に三上が指で数を数えるショットでは、彼女の年齢が自分の刑期よりもずっと若いこと、つまり自分の子供ではないことに気づいた三上の静かな落胆が表情からうかがえる。他にも、三上が食べるカップラーメンであったり、新居につける自作のカーテンなど、完成品へと三上が費やした時間が凝縮されている。

 時間の流れは俳優の身体へも表出している。顕著な例として、三上の身体に刻まれた刀の傷が挙げられる。生々しさの残る刀傷からはもはや血など流れ出してこないが、少し膨れ上がった、あるいは埋没した傷の深さ、幅、そして色の濃淡は、三上が過ごしてきた人生の時間そのものである。仲野太賀演じる津乃田がそれらの傷に優しく触れるとき、三上のそれまでの人生の時間はどのように報われ始めるのか。

 最後に三上の高血圧について。物語の冒頭から彼は高血圧を患っていることが示され、薬を摂取する様子が何度も描かれる。彼がどのような時に高血圧の症状に苦しみ、その痛みや苦しみに耐える瞬間が、そのシーンごとに何を表しているのかを考えると自然と涙が出てしまった。世界の不条理に逆らえない時に耐える痛み、不条理をその身体一つで押し殺そうとするような苦痛。本作が最後に三上を映すショットで見せる、熱を失った三上の右手が優しく握るコスモスの美しさは、そのような苦痛から三上を薄青い空へと導いてくれたのかもしれない。